第281話 パスタ小史-2

     

小麦 ☆ ほし絵

2. 小麦粉+水=パスタ

さて「パスタ」の話であるが、パスタが最もパスタらしいのは、食感のなめらかさにある。それは粉を焼くことでは得られるものではなく、【粉+水】= 水で捏ねて、茹でることによって初めて可能となる。このことは、われわれアジア人はアジアの【粉文化=麺】でよく知っている。
だがしかし、ヨーロッパの粉文化は、最後の晩餐のイエス・キリストの言葉「これが私の肉体(パン)。これが私の血(葡萄酒)である」とあるように、【パン=粉+火】である。
それがなぜ、突然パスタだけが異端児のようにアジア的な水を求めたのだろうか? 謎である。それゆえに「パスタの迷宮」などと称する人もいる。

ともあれ、パスタの本来の意味は「粉を練る」というから、この水との出会いからパスタ発展の歴史が始まるのである。
ところが、そのパスタ自体がいつごろから始まったか? ということも明確ではない。おそらく11~12世紀のルネサンス期には北イタリアで《生パスタ》が誕生していたであろうと推定されているていどである。
たとえば、ボッカチョは『デカメロン』(1348~53年)の 8日目の第3話で、フィレンツェに住む冗談好きのマーゾがサンロレンツォ地区に住む画家ジョヴァノッツォをからかう場面を書いた。そのとき、マケローニとラヴィウォーリ(中に卵や野菜を詰めた餃子のような食物)を持ち出しているし、またフィレンツェを取りまくセッティニャーノ山モンティシ山から産出する石で作った碾臼の優秀さについても述べている。
あるいは、13世紀末~14世紀半ばにナポリやトスカーナ地方で出版された『料理書』によると、彼らは茹でて、チーズを振りかけたりして食べているようであるし、またそれ以降、ショートロング詰め物などの多様なパスタが史料に見られるようになっているという。

そして、生パスタに少し遅れ、南イタリア・シチリアのバレルモにおいて《乾燥パスタ》が発明されたらしい。バレルモといえば、『ゴットファーザーⅢ』でお馴染みの光景であるが、乾燥パスタの風土はあれかと映画のシーンを思い出したりする。

これらパスタの食材である小麦は、南イタリアでは乾燥パスタに適した硬質小麦が生産され、イタリア北部を横断するポー川(全長652km)流域の平野では生パスタに相応しい軟質小麦が栽培された。

料理法としては、歴史的には、
1) 半茹でして、水を切って冷まして、ソースで味付けしてから、オーブンに入れたラザーニャなどの《パスタ・アル・フォルノ》(注:フォルノ=オーブン)と呼ばれるものが出現。
2) 次が、茹でたパスタを肉か、野菜のスープに入れて食べる方法。それを《パスタ・イン・ブロード》(注:ブロード=スープ)という。
3) 最後に、茹でて、水切りして、ソースで和える。これが《パスタ・アシュッタ》(注:アシュッタ=乾いた)である。
つまり、1) 最初はオーブンしていたが、2) 3) 次第に茹でるようになったというわけである。
せっかく加水したり線状にしたりして、ツルツルの食感を心地よく感じているというのに、わざわざ焼くことはないというわけであろう。
だから、現在のイタリア人は、3)《アシュッタ》だけがパスタだといい、1)《フォルノ》はパスタに入れたくないという人も多いと聞く。

かくて、アジアの【小麦粉+水=麺】に似た、【小麦粉+水=パスタ】文化が発展するのであるが、その形だけでも約2,300種+その地方独自のパスタを含めると1万種類は存在するという。

参考:ジョヴァンニ・ボッカチョ『デカメロン』(岩波文庫)、ゲーテ『イタリア紀行』(岩波文庫) 、エルマンノ・オルミ監督『ポー川のひかり』、佐々木昭一郎演出―「川の流れはバイオリンの音~ポー川 イタリア編」(『川三部作』NHK 1981年)、ルキーノ・ヴィスコンティ監督・脚本『山猫』、フランシス・フォード・コッポラ監督『ゴットファーザーⅢ』、Eテレ『美の壺 ― パスタ』、

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる