第281話 パスタ小史-4

     

【手食 ☆『TESTENINE』より

4. パスタ文化

モノが入ってきたからといって、すぐに新しいコトが創造されるとはかぎらない。そのものが知的に発展するためには、たいていは文化=都市の洗礼を受けなければならない。
日本においては、室町時代の「」における、能・華道・茶道・料理などや、江戸時代の「江戸」における、蕎麦・川柳・浮世絵・歌舞伎などは、都市における技の競い合いや、文化的センスがあったからこそ成長したといえるだろう。
蕎麦でいえば、江戸蕎麦から、麺のコシ、つゆのキレ、イキな食べ方などの食文化が生まれたのである。

同様に、イタリアにおいては、11世紀の北・中イタリアの各地に発達した自治都市Comune(コムーネ)がその舞台であった。
それらの都市では、知識人たちが周辺の農民たちが作った食材を使って、より洗練された、より美味なる料理を工夫していった。

たとえば、アマチュアのシェフであったジョバンニ・デル・トゥルコ(1577~1647) はパスタの茹で方を工夫した。 彼はフィレンツェの名家出身で、『エプラリオ』という料理書を著しているほど料理好きであったらしいが、彼が〝コシ〟の出る茹で方を奨めて以来、18世紀以降は「茹ですぎないように」というパスタ(乾麺)料理法が散見されるようになった。
このトゥルコの本職は音楽家であり、「美しい瞳」などの作曲家として有名らしいが、玄人はだしの素人が新世界を切り開いていくことは、古今変わらないようである。
また、食べ方においては、古い絵にはパスタを手で食べている姿が描かれているが、14世紀以降からイタリアではフォークが使われるようになった。他のヨーロッパ諸国では17. 18世紀以降だというから、先んじていたわけだが、それはパスタを生み出したことが、手食からの脱皮につながったものと思われる。
アジアでは麺と箸の、相互の寄与が指摘されているが、イタリアにおいてもパスタとフォークのいい関係がいえるのである。

時代は下って1970年代後半、伝統的なイタリア料理に新風を吹き込み、“ヌオーヴァ・クチーナ”(新イタリア料理)の旗手として活躍したミラノのグアルティエーロ・マルケージ氏は来日したとき、《ざる蕎麦》に感動してパスタも、氷水で冷やして絞めることを始めた。いわゆる《冷製パスタ》の誕生である。
一方、日本のパスタも、わが国伝統の盛付けにしたがって小高く美しく盛付けることを始め、より美味しさを誘うようになった。

食文化は進歩する。その進歩のひとつが美味しくなること。そのための琢磨もまた文化であろう。

参考: Giovanni Del Turco「美しい瞳よ」(『アマリリ麗わし:古いイタリアの愛の歌』)、
『TESTENINE』、

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる