第292話 油油しき蕎麦汁
つゆの焦点Ⅱ
江戸蕎麦が江戸中期になって完成したことは、そのことを調べたり、学んだりしている人なら、ご承知のことであろう。
なら、「江戸中期以前、つまり初期の蕎麦はどんなものだったのか」というと、それがなかなか明確でない。
そんなとき、畑さん(江戸ソバリエ・ルシック)を通して新発田市の「一寿」という蕎麦屋さんが「江戸初期の蕎麦を再現したい」と相談に来られた。
そこで、(1)江戸初期の蕎麦とつゆについては、『料理物語』『中山日録』『本朝食鑑』などに書いてあることなど紹介し、なかでも下記のD(『本朝食鑑』に記載)を薦めた。
A. 生垂れ:味噌一升+水三升 ⇒ 揉む ⇒ 袋に入れて垂らす
B. 垂れ味噌:味噌一升+水三升五合 ⇒ 煎じる ⇒ 袋で垂らす
C. 煮貫:生垂れ+鰹 ⇒ 煎じる ⇒ 濾す
D. 煮貫:生垂れ+鰹+酒 ⇒ 煎じる ⇒ 濾す
(2)すると、「一寿」さんはすぐに「再現」してくれた。私としては幻の江戸初期の汁であったので、さっそく江戸ソバリエ・ルシック第5回セミナーで公開してもらった。
そのときの食味テストの結果は、A=味噌の風味が強い、B=濃厚な味、C=出汁の風味が強い、D=日本酒の効果により鰹節の生臭さが抑えられ、まろやかになった、との感想であった。
(3)この日、ゲストとして大妻女子大の松本憲一教授をお招きしていたが、松本先生はA.B.C.D.の「成分分析」を提案され、実施された。
その結果、D=生垂れに鰹節と酒を入れて煮込むことで、濃度がやや増加し、酸度が2.5倍、アミノ酸が約5倍となり、D.が試飲者に好評だった。
お蔭さまで、(1)私が推薦した『本朝食鑑』の煮貫(D)は、(2)再現食味テストでも、(3)分析でも、「好ましさ」が証明されたことになった。
そして、(1)私の「仮説」、(2)「一寿」さんの「再現」、(3)松本教授の「分析」は「三本の矢だ」と痛感し、あらためてお二方に感謝した。
また、これによって「江戸の蕎麦つゆ」の歴史観のようなものをもつことができた。
Ⅰ.A.B.は袋に入れて垂らした汁、C.D.は濾した汁なので、いずれも「現代の醤油か」と思われるほど澄んできれいな汁であった。
この「袋に入れて垂らす」とか、「濾す」とかという手段がなければ醤油は生まれず、ただの「醤」に終わっていただろう。
Ⅱ.鰹節・日本酒でつくった煮貫が最も好まれたところに、「現在の蕎麦つゆ(醤油+味醂+鰹出汁)」へと成長した鍵があると思われる。
それゆえに、『本朝食鑑』の煮貫は「現在のつゆへのターニングポイント」、あるいは「焦点」と呼ぶのにふさわしいと思った。
話は変わるが、ずっと以前に、某テレビのある雑学番組を見ていたら、「油ではないのに、なぜ〝醤油〟と書くのか?」ということで、研究員が分析した結果、やはり油成分が出なかったため、「おかしいではないか!」ということになった。
私は「この番組のディレクターは現代の眼で見ているからこういう間違いを犯すのだナ」と思った。
油製品に満ちみちている現代から見れば、「油」は「あぶら」と判断しがちだが、歴史というのは今の視点で見てはいけない。その当時に踏み込んでみることが必要である。たとえば、「油」といえば「灯火」用の菜種油ぐらいしかなかった江戸初期は、次のような言葉の方が先に浮かぶだろう。
「油油=つやつやと美しいさま」
その液体は、「醤」を濾して、つやつやと美しかったから、「醤油」とよぶようになったのだと私は考える。
参考:第56話「つゆの焦点」、日本食生活学会第50回大会:発表「江戸初期の蕎麦切とつけ汁について」(平成27年5月30日)
〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕