第315話 美味しいですか?

     

ある蕎麦打ち会で「旨い蕎麦」を審査しなければならなくなった。                                                                                                                                     旨い「江戸蕎麦」はだいたい理解しているが、この蕎麦打ち会は全国の蕎麦が参加する。                       したがって、旨い「日本蕎麦」を審査しなければならない。                                    そんな立場から「美味」ということを考えてみた。

【挿絵 ☆ ほし

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一般的には、「美味しい」と感じる人が多ければ、その食べ物は美味しいだろう。「不味い」と思う人が多ければ、その食べ物は不味いだろう。
しかし、高齢者10人と若者10人がいて、ラーメンを食べたときは、若者のほとんどが「美味しい」と答える人が多く、高齢者は「美味しくない」と答える人が多いことは想像てきる。
あるいは、女性は甘いケーキに目がないが、男性はそれほどでもないだろう。(最近はそう決め付けられないが。)
またまた、東北の銘酒を飲んだ場合、東日本人は「酒はやはりこれにかぎる」と言い、西日本人は首を傾げる可能性は高いだろう。
このように、美味しさは①「年齢別」、②「性別」、③「出身地別」によってちがってくる。

また、こうした要因に左右されない「美味しさ」というのもたしかにある。
それが④「適度な味覚の美味しさ」ということである。
味覚には、甘味、塩味、酸味、旨味、苦味、渋味、辛味の七つの味がある。ただし、辛味は正確には味ではなく刺激であるが、とにかくこの味覚が適度であれば美味しく感じる。特にほどよい甘味、ほどよい塩味、ほどよい旨味、ほどよい酸味の食べ物を俗に「飽きない美味しさ」といっている。
また、⑤これとは逆の「病付きになる美味しさ」ということもあるにはある。
強い甘味、強い油脂味、強い旨味によって癖になるような食べ物。これは基本的に美味しいとは言い難いところがあるが、俗に言う「B級グルメ」にこのタイプが多い。
余談だが、この油脂味の美味しさというのは舌のどこで感じるのか? なぜ美味しいのか? よく分かっていない。

美味しさは、こうした味覚以外でも感じることができる。
たとえば、江戸蕎麦では麺の「腰」や「喉越し」、つゆの「酷」や「切れ」がうるさくいわれる。
「腰」は月偏を外せば「要」となるところから硬くもあり、柔らかくもある腰のようなバネ性を感じる食感。「喉越し」は啜り易い細い蕎麦の喉で感じるつるつる感。「酷」は酒の字が付いているだけ醸造由来の味覚、「切れ」は塩分由来の表現からきている。これらはもともと蕎麦の美味しさを語る言葉として生まれ、それが麺全体の表現に拡大し、最近はカタカナの「コク」「キレ」となってビールなどにも使われるようになった。

美味しさについて、別の見方もある。つまり匂い、色どり、形である。正確にいえば、匂いが「美味しい」、色どりが「美味しい」、形が「美味しい」のではない。匂いが「美味しそうに感じる」、色どりが「美味しそうに見える」、形が「美味しそうに見える」である。
しかし、口に入れる前の「美味しそう」も「美味しく」頂くための大事な条件である。だから料理においては匂い、色どり、形が工夫される。
こんなを理屈を知った上で、美味しいものを美味しくいただければ、なお美味しくなるだろう。

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる