第319話 有明海の珍味はいかが?

     

有明海は、古に「不知火の海」ともいわれていた。そのためこの海に接する佐賀・長崎・熊本は「火の国」とよばれていた。それが「肥の国」と書くようになって、やがては京に近い方を肥前、遠い方が肥後となった。
その有明海のことを佐賀では「前の海」とよび、そこで獲れる魚介類を「前の海の物」という。東京湾を「江戸前海」とよび、そこで獲れる魚介類を「江戸前」というのと同じだろう。
そんな佐賀に久しぶりに帰郷した折、常宿にしている「旅館 あけぼの」では有明海料理も供してくれるというので、今回は「前の海の物」のご馳走にあずかることにした。
この旅館は、天才画家青木繁ゆかりの宿としても知られているが、それだけではなく、待合室には有明海のムツの写真、廊下には油絵が所狭しと飾られていて、絵画が好きな客にはまことに満足のいく宿である。その上、美人女将が笑顔で迎えてくれるから、なお心地よい。

ところで、「前の海」の魚介類というのは他国の人には聞いたこともない珍しいものばかり。せっかくだから、ちょっとご紹介してみよう。

☆雪花
佐賀は牡蠣も柿も美味しい。まさに「牡蠣の産地は柿の産地」といわれているが如くである。(ただ牡蠣の養殖地は柿の産地ではないから、ご注意を。)
その牡蠣のことを佐賀では「セッカ」とよぶ。中国大陸でもそういうそうだが、有明海の潟が大陸の河江と類似しているからだろうか。
セッカは一口で頬張れないほどに巨大なる物が尊ばれ、貝柱は6cmぐらいのものもある。人間が牡蠣を食べ始めたのは5000年以上も太古のことらしい。巨大なセッカを見ていると、そうかもしれないと思ってしまう。
牡蠣はグリコーゲンの量が増える秋から冬にかけてが旬である。そのグリコーゲンをキャラメルに入れたのが「グリコ」の始まりであることは、佐賀の人は皆さん知っている。

☆ムツ
佐賀で単に「ムツ」と呼んでいる「ムツゴロウ」は、愛くるしい顔をしているので、有明海の魚のシンボルになっている。
あちこちの潟に棲息しているけど、古い潟、すなわち有明海産のムツゴロウだけがよく食される。夏季が旬で、主に蒲焼か、焼いた上で煮て食べる。
ただ「蒲焼」と通称しているが、ウナギのように割いて焼くわけではないから、料理としては「付焼」である。味はウナギのようにしつこくないから、何匹でも食べられる。ちなみにウナギも最初は蒲焼ではなく付焼だったという。

☆クチゾコ
ヒラメ、カレイの仲間であるが、有明海にしか棲んでいない、おちょぼ口の上品な魚。海底には清水が湧く所があるらしく、クチゾコはそこに棲んでいるため、ワタがきれい。煮付で食べることが多く、佐賀の家庭ではよく見られたから県人には馴染み深い魚である。
いい歳の大人になっても、帰郷した折には亡き母が食卓に出してくれていたことを思い出す。実に味わい深い魚である。

☆ワラスボ
藁の茎を「ワラスボ」というが、それに似た海蛇のような魚も「ワラスボ」という。顔はやや大きく、鋭利な歯が剥き出しているため、最近は「有明海のエイリアン」と言う人もいる。有明海にしかいないらしい。
干物にして食べることが多く、酒の友として人気がある。煮付や味噌汁もコクがあって美味しいというが、味噌汁はまだ味わったことがない。

☆ガンツケ
「蟹漬」が訛ってそう呼ぶが、実は「蟹の塩辛」である。その蟹は有明海名産の真蟹。食べるときは崩れたハサミと具足を残す奇怪な形、ドス黒く強烈な味。初めて見る人は驚愕の塩辛であるが、真蟹の交尾は雄が絶頂の刹那に雌を30cmも跳ね飛ばして起き上がるという。そのエロチックさが、この独特の食感に表現されているのかもしれない。

☆シャッパ
東京の「シャコ」のことを佐賀では「シャッパ」という。
生きたシャッパを醤油で煮て、大鉢一杯に高く盛って、手で食べる。甲羅や針がアチコチ尖って、指や唇を傷めることもあるが、育ち盛りの中学生のころは一尾でも多く食べたくて、少々の傷もモノともせずひたすら喰い続けたものだった。
ある人が、佐賀人と東京人を招いて、同じ物を「こっちが、シャッパで、あっちがシャコ」と言って食べさせたところ、佐賀人は「やっぱりシャッパが一番旨い」、東京人は「やっぱりシャコが一番旨い」と言ったという。
〝旨い〟の正体これにあり、である。

☆エツ、ウミタケ、メカジャー・・・、
まだまだ有明海には珍魚介がたくさん棲息している。
ただ、もう母がいなくなったわれらの世代、故郷の味も遠くなりにけり・・・! である。

参考:
http://akebono-saga.jp/

https://fv1.jp/chomei_blog/?p=6487

〔エッセイスト ☆ ほしひかる