第330話 「五人の裸婦と『般若心經』」

     

展覧会告知のホームページより

よく、料理人はアーティストでなければならないというが、蕎麦人だってそうだろう。たとえば、「竹やぶ」の阿部さん、「ほそ川」の細川さん、「無庵」の竹内さんなどもそうおっしゃりながら、三人さんとも蕎麦屋仲間より、アーティストとの付合が多いらしい。それは、お付合を通して感性が磨かれるからだという。
「私も肖りたい」と思ったとき、ちょうど気になる画家の展覧会の案内が目に入った。
それが【藤田嗣治展】である。
会場の中で、一番人だかりがしていると思ったら、藤田の代表的な絵の一つ「五人の裸婦」である。乳白色の上品な肌をした裸婦だ。1923年(大正12年:) 37歳のときに描いたという。
藤田といえば、この「乳白色の肌」が特色であり、その手法は本人も生涯秘密にしていたらしい。
しかし、現代の科学はその秘密をあっさり解明してしまった。
つまり、硫酸バリウムを下地に、その上に鉛白と炭酸カルシウムを3:1で混ぜた絵具を塗り、さらには和光堂の「天花粉」まで塗していたという。
「美の追求」は画家の宿命であるが、そのための画法に血眼になっていた藤田である。
しかも、この五人の裸婦は「五感」を表現しているのだという。
すなわち、右から犬を伴っているから「臭覚」、口を指しているから「味覚」、真ん中は視点の中央ということで「視覚」、耳を触っているから「聴覚」、布を持っているが「触覚」ということらしい。
「『般若心經』に「眼耳鼻舌身意」(ゲン・ニ・ビ・ゼツ・シン・イ)という言葉が出てくるが、六感覚器官=色声香味触法(シキ・ショウ・コウ・ミ・ソク・ホウ)の六感という意味だろう。
藤田も『般若心經』を思い出しながら、筆を動かしていたのかもしれない。だから裸婦でありながら、格調の高さが漂っている絵になっている。
格調高き美の追求者 ― 藤田嗣治はまぎれもないアーティストであることを思わせる絵だった。

〔エッセイスト ☆ ほしひかる