第356話 ド・ロ神父のスパゲッチー
= 日本のパスタのルーツ =
【明治の頃の大浦天主堂、ド・ロ神父はここで亡くなった☆ほし絵】
長崎のデパートに寄ったとき、食品売場にパスタが並んでいた。パッケージを見ると「日本のパスタのルーツ」とか「手延製法 復刻版」と書いてあって、ド・ロ神父のイラストも載っている。
日本のパスタ史上、「フランス人宣教師マリク・マリ・ド・ロ神父(1840~1914)が日本でパスタを作った最初の人」という話は有名である。
「だったら、ここで出会ったのも何かのご縁」と買ってみることにした。商品名は「長崎スパゲッチー」、原材料は「デュラム小麦粉」のようである。
「へえ! 当時は、デュラム・セモリナではなかったのか」と思った。
自宅で茹でてみると、5. 6分で茹で上がった。食感は《うどん》にちかかった。
ド・ロ神父は、慶応4年に来日。明治12年に出津教会の主任司祭に就任するや、孤児院(明治12年)、救助院(明治16年)を設立し、施設の修道女になった女性たちに素麺、マカロニ、パン、醤油、織布、編物の製造・販売を指導した。
そこで作られたものの復刻版が「長崎スパゲッチー」というわけだ。
当時のそれは「デュラム小麦粉」が材料だったのだろう。そこに当時の思いというか、苦労というか、日本の小麦粉状況が想像されるところがある。
では、現在の「デュラム・セモリナ」になったのはいつごろからだろう?
そう思って調べてみたら、昭和61年ごろかららしい。要は、このころから「パスタ」と呼ばれるようになり、日本人はイタリア式のパスタを食べるようになったのである。
その間、われわれは「パスタ」と言うより「スパゲティ」と言っていたが、トマトケチャップ入りのスパゲティを《ナポリタン》と呼びながらよく食べていたものだった。
その《ナポリタン》の初まりは233話「スパゲッテイ-ナポリタンの誕生」でも述べているが、米兵がトマトケチャップをやたらと使っていたのを見た料理人の入江茂忠が《ナポリタン》を考案したのである。
それもあとで考えれば、トマト・ケチャップは世界の中でアメリカ人が一番好むというから当然の光景であったわけであるが、とにかく暫くしたらたいていの喫茶店では《ナポリタン》が定番メニューになった。
トマトケチャップたっぷりで、昼のランチにはなぜか味噌汁が付いていたこともあったが、思えば《ナポリタン》というのは主食のようでもあり、おかずのようでもある不思議な食べ物であった。それはたぶん西洋流の《皿うどん》的感覚で大衆に受けたのだろう
かように、巷間の食堂・レストランには、《皿うどん》《ナポリタン》、そして《パスタ》という、《ソーメン》《うどん》《蕎麦》とはまた違った、もう一つの愛される麺があるということになるだろう。
参考:池上俊一『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)、
【初祖シリーズ】
第355話「ちゃんぽん発祥の店 四海楼」、323話「日本人初の西洋料理店」、233話「スパゲッテイ-ナポリタンの誕生」、29話「哀しみの六兵衛」、etc.
〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕