第357話 幻の切りべら60本

     

今は皆、江戸流の三本の麺棒を持って、立った姿勢で蕎麦を打っている。しかし、その昔は座って打っていたし、麺棒は一本だった。しかもその麺棒も太い棒から細いものにへと変わってきている。
このような変化はいつ頃起きたのか? それはまだ明確にされていない。いえることは、時代によって道具も変わるものということである。
そういうときに、麺棒という蕎麦打ち道具に新たな変化が起きた。
どんな道具かというと、表面が凸凹した麺棒と延し板。それが特許として認められたというのである。開発したのは、足利市蕎遊庵」の店主根本忠明さん。
平成28年4月19日、その発表会が開催され、小生もお招き頂いたので伺った。

何しろ、これまで4、500年もの間、麺棒も延し板もツルツルだったのに、根本さんはそれをエンボス加工し、凸凹にしてしまった。だから革新的といってもいい出来事である。来賓として見えていた鉾田市「村屋東亭」の渡辺維新先生もご挨拶の中で同様なことをおっしゃっていた。
開発のきっかけは、たまたま磨く前の凸凹を付けたままの麺棒を使ったら、薄い生地ができたことだったとのこと。
それから改良が続き、漆を7回ぐらい塗り、貝殻や漆の粉を2回塗して凸凹を作るようになった。
今日の麺棒は長さ80cm、太さ24mmの桐製。延し板は90cm×90cm。
こうした道具の表面は凸凹になるために、生地との接触面に空気が含まれて打ち粉が少なくても薄く丈夫な生地ができるのだという。
そして十割蕎麦も、より薄く、より細く切ることが可能となって、現に今日、幅3cmの生地から60本の麺を切り出した。
江戸蕎麦の、並みは「切りべら23本」、すなわち切り幅が1.3mm、切り口はやや長方形が基本だとされ、細打ちは45本、50本、60本に切ると定められていたというが、切りべら60本なんかか見たことのある人はいるのだろうか?というわけで、幻とされていたのに、根本さんはご披露してくれたのである。
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030根本さん、エンボス加工の麺棒と延し板、切りべら60本蕎麦

〔切りべら60本〕― それを見た今日の出席者は約50名は、「お~!」と驚愕の溜息を吐いた。和食の真骨頂の一つは庖丁が見せる造形美にあるが、まさに極細の〔60本〕にはそれがある。
間もなくして、その《かけ蕎麦》が目の前に何とも色気のある蕎麦になって供された。皆さんは、おのずと愛しむようにそっと啜って、味わった。革新者の手から生まれた奇跡の味は何とも涼しげで、喉に心地よかった。
織姫神社の境内のような所にある「蕎遊庵」、きっと織姫神の御加護でこの絹糸のような蕎麦切が生まれたのだろう♪
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数日後、根本さんからお手紙を頂戴した。「足利から技術発信をしたいと思って、発表会を企画した」とのことだった。
それならば、微力ながらも側面から応援しなければならないと思って、ここにご紹介した次第である。

参考:平成28年4月19日「エンボス麺棒特許発表会」(蕎遊庵)、下野新聞4/20、ウィークリー両毛5/4

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる