第94話 新・江戸ソバリエ宣言
「江戸ソバリエ」誕生(十一)
☆食のバイブル
中国清朝時代の袁枚(1716-97)が書いた『随園食単』と、フランスのブリア-サヴァラン(1755-1826)が書いた『美味礼讃』は多くの食通がよく引き合いに出す本だから、皆様もよくご存知であろう。なにしろ「随園」という中国料理店があったり、「ブリア-サヴァラン」というチーズがあることからも、二書が食の古典的バイブルの地位にあることは確かである。
先日も新丸ビルに行ったとき、「随園別館」という北京料理店を見かけた。入口には清国の太祖ヌルハチの肖像画が飾ってあり、「随園別館」の扁額には愛新覚羅鴻釣書というサインがしてあった。名著『随園食単』を意識してか、あるいはゆかりの店であることは明らかである。
清国、南京城西にある小倉山の一隅の、澄み切った池と渓流を持つ形勝の地に「随園」と呼ぶ邸があった。主は、官吏であり、詩人であり、食通であった袁枚。そこで彼は知人門下と共に詩酒の会合を催していた。その献立の記録が『随園食単』である。頁を捲れば18世紀の中国料理約300種について、材料の吟味、作り方、味わい方を整理して記してある。そこには、酒、茶にまで説き及んでいるが、われわれが気になる麺は点心の部で紹介している。正に「垂涎の書」である。
一方の、『美味礼讃』はフランス人らしい食の思想が粋に貫かれている。とくに「アフォリズム」で謳っている「禽獣はくらい、人間は食べる。教養ある人にして初めて食べ方を知る。」は食通の指針となっている。
「世界の○大料理」の地とされる東の中国と西のフランスに、しかも同じ18世紀代に、このような食通が登場しているのは面白いと思う。
しかし、わが国だって負けてはいない。修行という一本の芯が通っている道元の『典座教訓』と『赴粥飯法』の精神は今も日本人の心の片隅に棲んでいるし、多治見備後守貞賢の『四條流庖丁書』は〝切る〟という和食の本質が貫かれている。
そして、先に(第93話)ご紹介した青木正児の「陶然亭」、大久保恒次の「田舎亭」、神吉拓郎の「二ノ橋 柳亭」は極めて日本的な食通の書だと思う。
江戸ソバリエも食通の仲間だとするならば、こうしたバイブルを一度は目を通した方がよいだろう。
そんなとき、江戸ソバリエ認定講座の「蕎麦猪口」講師の柿谷先生がおっしゃったことを思い出す。
「蕎麦猪口を10個集めれば楽しくなる。30個集めればたいしたものだ。100個集めれば素人の域を脱してくる」。
この心構えは趣味人にとってはよき道標だと思う。
蕎麦の本を10冊読めば・・・。30冊読めば・・・。100冊読めば・・・。
蕎麦のエッセイを10点書けば・・・。30点書けば・・・。100点書けば・・・。
蕎麦の絵を10点描けば・・・。30点描けば・・・。100点描けば・・・。
蕎麦猪口を10個作れば・・・。30個作れば・・・。100個作れば・・・。
蕎麦打ちを10回すれば・・・。30回すれば・・・。100回すれば・・・。
蕎麦品種10種打てば・・・。30種打てば・・・。100種打てば・・・。
蕎麦の種を10回播けば・・・。30回播けば・・・。100回播けば・・・。
江戸蕎麦めぐりを10軒すれば・・・。30軒すれば・・・。100軒すれば・・・。
10・・・。30・・・。100・・・。
問題は、自分は何の100を目指すべきかだ。
それが決まれば、新たなる江戸ソバリエ宣言となるであろう。
参考:「江戸ソバリエ」誕生(第46、50、51、53、54、57、58、60、82、93話)、袁枚『随園食単』(岩波文庫)、ブリア-サヴァラン『美味礼讃』(岩波文庫)、道元『典座教訓』『赴粥飯法』、多治見備後守貞賢『四條流庖丁書』、青木正児「陶然亭」(岩波文庫)、大久保恒次「田舎亭」(柴田書店)、神吉拓郎「二ノ橋 柳亭」(文春文庫)、
〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕