<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第12回

      2017/01/24  

<海外視察ツアーの思い出>(その3)

<DCVS時代(1989~1996)(2)

ーー1993年2月ーー(第8回)

「ダイエーグループ・1993年度新入社員『内定者・米国流通研修ツアー』」

通算9回目の海外視察は、この「ダイエーグループ・1993年度新入社員『内定者米国流通研修ツアー』」の引率同行であった。

期間は1993年(平成5年)2月10~19日の10日間、視察先はロスアンゼルス、サンフランシスコ、ホノルルであった。

1993年(平成5年)といえば、ローソンにとって店舗数は4000店を超え、5000店を目前にしており、DCVSの成長の勢いがピークに達していた頃である。

また新卒学生の就職市場が、「売り手市場から買い手市場へ」、と大きな変化の傾向を見せ始めていた時期であった。

加えてダイエーでは、中内CEOの長男・潤副社長が、後継者としてダイエーグループ経営の前面に出始めていた頃でもあり、この年、初めて中内CEOに代わり、この「内定者・米国流通研修ツアー」に同行して、ダイエーグループ代表として訓示を行った年でもある。

この「内定者・米国流通研修ツアー」は、ダイエーが長年にわたってが実施してきたものであり、この年にはDCVS172名を含めて、ダイエーグループ各社16社・総勢623名を、A・B・C・Dの四つのコースに分けて運営する大ツアーとなった。

AとCのコースがダイエー単体の232名、BコースがDCVSとユードの186名、Dコースがグループ14社の117名と云う編成で、それぞれの視察計画がたてられ、毎年の経験をベースに、綿密な研修運営マニュアルが組まれていた。

DCVSのBコースは、米国内ではバス6台の構成であり、私はBコース団長となり2号車に搭乗した。

副団長は当時の人事部主席・小泉福秀さんであった。

同行のスタッフとして、人事部の加藤幸三さん、吉田晴彦さん、生田博章さん、山名肯さん、垣内勅緖さんなどが、それぞれ役割を分担して懸命にサポートしてくれた。

 

<研修マニュアル表紙><役割分担表と団長日程>

「研修ツアーの日程」

2月10日 成田集合  全体結団式 事前セミナー開催   成田泊

11日 成田発、サンフランシスコ着後、バスでロスアンゼルスへ移動。

ロスアンゼルス市内流通業視察、

ファーマーズマーケット、ロデオドライブ、

メルローズ・アヴェニュー、チャイニーズシアタなど。

サウスコーストプラザ泊。

12日        ①・サンディエゴ・テイファナ

②・デイズニーランド

③・ユニヴァーサルスタジオ

のいずれかを選択し、3班に分れて視察。

サウスコーストプラザ泊。

13日      ロス近郊流通業視察、

ウォルマート、Kマート、ギャレリアSC,

セブンイレブン、SHELL、AMPMなど。

夜、エアポートヒルトンにて全体会議、

ダイエー中内副社長全参加者に訓示、

A・B・C・D全コース合同パーテイ 開催。

サウスコーストプラザ泊。

14日 ロス発  空路サンフランシスコへ。

サンフランシスコ市内近郊流通業視察、

280メトロセンター、セーフウエイ、

マーケットプレイス、ウォルマートなど。

サンフランシスコ泊。

15日       サンフランシスコ市内視察、

トレジャーアイランド、ツインピークス、

サウサリート、金門橋など視察後、

フィッシャーマンズワーフで自由研修。

サンフランシスコ泊。

16日 サンフランシスコ発 空路ホノルルへ。

ホノルル到着後、市内流通業視察、

アラモアナ・ショッピングセンターなど。

ホテルで流通セミナー開催、ホノルル泊。

18日 ホノルル発 解団式後、空路帰国へ 日付け変更線を経て

19日 成田着 入国審査後解散。

 

<出発前に成田空港にて><サンフランシスコ・バス2号車メンバーと>

参加者たちが、これから入社する若者ばかりであり、大切な未来の社員をお預かりすると云うことで、緊張もあり、視察場所や宿泊ホテルでの点呼や体調などへの心配りなど、神経を使うことも多かったが、特に事故もなく、無事研修ツアーを終えて帰国できた時は、正直云って内心ほっとしたことを思い出す。

それから約20年近く経ち、当時の初々しかった新入社員たちが、厳しいサバイバル競争に生き残っているとすれば、いまやローソンを支える働き盛りのヴェテラン中堅幹部社員として活躍していることだろうと思うと、格別の感慨を禁じえないのである。

ーー1993年10月ーー(第9回)

「第6回アジア小売業者大会」参加

9回目の海外視察は、1993年(平成5年)10月6日~8日の間、フィリピン・マニラで開催された、「第6回アジア小売業者大会」に、日本代表団の一人としてJFAから参加したが、商品本部の山田忠良さんが同行して、よく補佐してくれた。

これに付いては、すでに、この<コンビ二創業戦記・別伝「DCVS回想録」(第6回)に、「日本フランチャイズチェーン活動」のところで書いているので、ここでは割愛する。

ーー1993年10月ーー(第10回)

「DCVS・PALツアーANUGA(世界食品見本市)視察』」

マニラから帰国して数日後、海外視察通算11回目の「DCVS・PALツアー『ANUGA(世界見本市)視察』」に出発した。

3年ぶり2度目のヨーロツパ訪問であった。

加盟店及び取引先、総勢41名で編成し、私は団長として引率した。

副団長は、運営本部のディヴィジョン・マネージャー・小田博彦さんがサポートしてくれた。

参加者には草創期からのヴェテラン加盟店オーナーさんや、主要取引先の部・課長クラスが多く、それぞれに経験豊富であり、中には豪快なサムライもいて、多士済々であったから、ハプニングもあり、道中は極めて明るく、楽しいものとなった。

10日から17日の間に、ミュンへン、デュセルドルフ、ミラノ、パリを訪問した。

 

<成田での結団式風景>      <ミラノにて全体集合写真>

「視察日程」

10月10日 成田発空路ミュンヘン経由デュセルドルフへ。

デュセルドルフ泊。

11日 終日、ANUGA(世界食品見本市)視察、

デュセルドルフ泊。

12日 空路ミラノへ。 ミラノ市内視察、ミラノ泊。

13日 ミラノ市内流通業視察。

ぺック、モンテ・ナポリオーネなど。

大聖堂前で全体写真を撮る。ミラノ泊。       空港までの途中で、ナポレオンのミラノ凱旋門に臨む。

パリ着後、パリ市内流通業視察。

オーシャン、フォーションなど。パリ泊。

 

<ミラノにて団欒風景>           <ミラノ凱旋門を臨む>

15日 パリ市内自由視察。

オ・プランタン、キャトルタンSCなど。

一人でアンヴァリッドのナポレオンに再び会いに行く。

夜、セーヌ川の観光船にて全員懇親パーテイ。

にぎやかに盛り上がる。パリ泊。

朝ホテルのチェックアウト時、参加者の中に

部屋のバスルームで漏水させた人がいて、

賠償を請求されるトラブルあり。

夜、空路成田へ。     機中泊。

17日 成田着。解散。

【駆け足で見たドイツ、イタリヤ、フランスの街並みの印象は、総じて落ち着いた成熟した社会というものを感じさせた。

食品流通の分野でも、大型ハイパーマーケットや食品スーパーマーケットチェーンが主力を占め、アメリカ式のセルフサービス方式がとられていたが、どこか落ち着いた店作りをしていたようである。

ヨーロツパの消費者は品質への要求が高いのだが、低価格への意識も極めて強いということを聞かされた。

メーカーや問屋の力が相対的に弱く、小売り業がプライスリーダーの機能を果たしているように見えた。

その故か、PB商品の比率が高いように見受けられたのである。

私が見て歩いた限りでは、その頃は日本のコンビ二的な店舗を見かけることはなかった。

それもまた、ヨーロツパの落ち着きのある街並みを感じさせる、一つの要素であったかもしれないと思う。

このツアーが実施された1993年(平成5年)と言えば、ヨーロツパが、それまでの欧州共同体(EC)から欧州連合(EU)へという新しい歴史的飛躍のステージを迎えた年であった。

EUの発足は、長い間の戦乱の歴史を乗り越えて、一つの平和なヨーロツパの実現を目指そうという理念の結晶であったといえよう。

街々には、祝意を表わすペナントが華やかに飾られていたように記憶している。

長年、高度成熟社会へ向かう二十一世紀日本のモデルは、ある意味ではヨーロツパにあるのではないかと、私は考えていた。、

だが、その時から約20年が過ぎた今日、どうも最近のヨーロツパは少し様子が違うようである。

2008年のリーマンショツク以降、ヨーロツパ社会は、殺伐としているというのである。

金融危機のため失業、賃金カツトなどで社会に対する連帯感が失われて希薄となり、移民排斥や人種差別、暴動といった社会不安が、ヨーロツパ諸国で高まっているというのだ。

「失われた20年」といわれる長い停滞を乗り越えないうちに、「3・11」に遭遇した日本は、世界に果たすべき新たな役割を、苦闘の中で、自ら、粘り強く見出していかねばならないだろう。】

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