第137話 「元気は生命のもと、飲食はその養い」

     

食の思想家たち三、貝原益軒

 

☆黒田武士

 酒は呑め呑め 呑むならば 日本一のこの槍を 呑む取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士♪

  私の20代のころまでの宴席ではけっこう歌われていたが、今は「絶滅危惧歌」といっていいほどほとんど聞かれなくなった。

  この唄は、文禄・慶長の役のころの逸話が、「越天楽」のメロディーにのせられて謳われるようになったのだという。

 その逸話というのはこうだ。

 黒田家の家臣・母里太兵衛が使者として伏見城に滞在中の福島正則の元へとつかわされた。太兵衛は黒田家中でも屈指の酒豪であった。それを知った大酒呑みの正則は「この酒を飲み干したなら、好きな褒美をとらす」と勧めた。だが太兵衛は「使者の身である」と断る。正則は酒癖が悪かった。なおも迫り「黒田武士は酒に弱いか」と罵倒した。「そこまで申されるならば、仕方ありませぬ」。太兵衛は大盃になみなみと注がれた酒を一気に飲み干し、褒美として正則が秀吉から拝領した無銘ながらも名槍として天下に知られる「日本号」を望んだ・・・。

  関ケ原後、黒田家は筑前国福岡藩を領したが、この逸話のお蔭で黒田武士は大酒呑みばかりと見られるようになったという。しかし、そんな藩から酒を控えよとの「養生訓」が生まれたのだから、面白い。

 

☆貝原益軒

 著したのは福岡藩士貝原益軒(1630-1714)である。益軒は19歳で二代藩主黒田忠之に仕えたが、なぜか怒りにふれ7年間の浪人生活をおくった。理由は不明だが、忠之の代にお家騒動が起きているから、忠之自身に不審な点がありそうだ。その辺りのことは多くの小説で描かれている。

 ともあれ益軒は、文治派の三代藩主光之(藩主1655-82)に許されて、復帰。さらには藩命で京都に遊学し、その後は藩内での朱子学の講義の傍ら『黒田家譜』や藩内をくまなく歩き回って『筑前続風土記』を編纂したりした。

 また、朝鮮通信使の対応を任せられるなどの責も担った。それは第7回(1682年) の、徳川綱吉襲封祝賀のための正使尹趾完、副使李彦綱、従事官朴慶後ら475人であった。通信使一行は壱岐 ⇒ 藍島 ⇒ 赤間関の使舘・阿弥陀寺に到着した。益軒は、甥の貝原好古、門人の鶴原時敏を伴って、成琬、洪世泰らと筆談し、漢詩を唱和した。さらに第8回(1711年) の、徳川家宣襲封祝賀のための正使趙泰億、副使任守幹、従事官李邦彦ら500人のときは藍島使舘へ弟子の竹田春庵と神屋弥衛門を渡島させたりして、今の言葉でいえば国際協力に一役買ったのであった。

  そして70歳で現役を引退するや、今までの知識や、講師、調査、編纂などの経験を活かして著述一筋の第二の人生をおくった。その著書は『大和本草』『菜譜』『花譜』『養生訓』『和俗童子訓』『五常訓』『大疑録』『和州巡覧記』などである。

『養生訓』→「六官」

 さて、その『養生訓』であるが、一読しただけで、益軒「訓」のポイントは明解である。それは「用心深さ」である。

 「元気は生命のもと、飲食はその養い」であるがゆえに、口から入る飲食に対して、身体に悪いモノを入れてはいけない、と説く。

 いわく、熱すぎるも物、冷すぎる物、甘すぎたり、辛すぎたりの五味が偏っている物、食べすぎはダメ。

 いわく、五の物を好め(清新な物、香りのよい物、柔らかい物、味のかるい物、性のよい物)。

 いえば、「福は内、鬼は外」というわけである。

 時々、テレビで動物のドキュメンタリー番組をやっていることがあるが、それを観ていても、動物の親たちは子に害になる物は食べないように教えている。 子はその教えを忠実に守り、やがて自分が親になったとき、またそれを子に伝える。

 だから、毒は喰うなは動物の基本なのである。

 その上で、益軒先生は人間としての食の思想を説いている。

 たとえば、益軒 曰く「五官は心の家臣」である。

 「家臣」とは江戸時代らしいたとえであるが、心が五官を支配しているから、よく考えて五官を使いなさい。心が五官に支配されるようではダメ、それは自分が弱いことだというわけである。

  私も、世間があまりにも「五官」だけをいい過ぎて「心」を置き去りにするきらいがあることに気づき、ある年のシンポジウム以来「六官」ということを前面に押し出してみた。

 しかし、益軒先生の言葉に比べると並列過ぎて、意味をなさない。やはり、「五官は心の家臣」の方が最適だ。だが「家臣」では、今は通じない。

 「心は五官のリーダー」といったところだろうか。

 

参考:貝原益軒『養生訓』(岩波文庫)、貝原益軒屋敷跡(福岡市中央区荒戸1-11-10)姜在彦『朝鮮通信使がみた日本』(明石書店)、

「食の思想家たち」シリーズ(第67話「村井弦斉」、73話「多治見貞賢」)、

〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる