第143話「花の下にて 春死なん♪」

     

季蕎麦めぐり()

 

☆望月の桜

 ねがはくは 花のしたにて 春死なむ

そのきさらぎの 望月のころ♪

西 行

  死ぬならば、「如月の望月のころ」と願った西行。その日は釈迦入滅の日の二月十五日(旧暦)、新暦でいえば3月29日ごろのことであるが、実際に彼が亡くなったのも「望月の翌日」、花咲き誇るころだった。その尊厳な死ゆえに、この歌には凛とした美しさが漂っている。

 現代の日本列島各地に咲き誇る桜は、西行の時代よりもっと華やかかもしれない。

 花弁は小さく、色は淡いのに、こんなにも華やかな景色をつくることのできる桜はほんとうに摩訶不思議な花である。その淡い桜色をした花びらが宙に舞い上がれば胸がときめき、落花すれば切なくなる。そんな甘美さは日本人にしか分からないだろう。

 だから、われわれは桜咲く春を一年の始まりにして、入学、入社には初な胸をときめかせたりしてきた。

 そうして、そのときめきを食べ物に閉じ込めようと、桜茶や桜餅を味わい、桜切り(蕎麦)を啜り、行く春を満喫しできた。

 日本人なら、そんな美しき情感と慣習を捨ててはならないと思う。

  ほしひかる

 

☆日本の桜

 ところが最近、ときめきの春を冒涜するような動きがあるらしい。

 それは大学の秋入学制度への動きである。理由はグローバルの波に乗り遅れないためだという。またひとつ美しい「和」が消えてしまうのかと落胆していたところへ重ねて、某という人がある誌に、こんな9 月入学推進論を述べていた。

 それによると、「世界を見ても、4月入学はわずか7カ国、9 月入学が圧倒的に多く106カ国、10 月入学は28カ国、1 月入学31カ国。とくに先進国欧米では8割が9月入学だ」と。

 なぜ「独自性、多様性」を認めないのだろうか。それに「先進国」ときた。これには思わず笑ってしまった。まるで明治時代の遣欧使節団の報告書「先進国はこうだ。日本は遅れている」式の感覚である。

 なぜ皆、こうも「グローバル」という妙な殺し文句に弱いのだろうか。それにはたぶんファストフードのように、「た易い」ところがあるからだろう。グローバルというのは、入り易く、底が浅いものだ。

 真の文化とは奥深い。だから、「底の浅さ」を推進し、「奥深さ」を否定することになれば、それはその国の根を枯らすことになるのである。

 

☆さくら咲くころ桜切り

 「さくら咲くころ桜切りを楽しもう」。そんな粋な呼びかけが仲間から沸き上がり、十数名が集まった。場所は東浦和の「蕎楽房 一邑」という蕎麦屋さん。

 桜隧道を通って店に向かう。続く桜並木を見上げれば、花びらがヴァイオリンの音にのって宙を舞う。

 目指す「一邑」は、店内から咲き誇る桜樹が見える所に在った。贅沢な花見所だ。

 みな揃ったところで、さっそく乾杯。蕎麦前(日本酒)には桜の花が浮かんでいる。お摘みの《板わさ》にも桜がデザインしてある。小判型をした特別の玉子焼の上にも花びらがのっている。みんな、幹事さんの粋な計らいだ。

 お酒がすすみ、蕎麦談義も夢の中。

 当然、ソバリエが企画した花見の締めは奇麗な桜切り。スルスルスルッと啜れば、微かに桜の香りが漂う。

 目線を外に移してみると、一陣の風が花吹雪となり、花弁群が哀しげなピアノのトレモロに合わせて落花していた。

参考:季蕎麦シリーズ(129130131136140)

 〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長☆ ほしひかる〕