第114話 麺をもって天となす!
~ 中国麺紀行⑥ ~
☆世界遺産
この旅は麺紀行が主であったが、もうひとつには世界遺産紀行でもあった。昨日まで北京効外の萬里の長城と、承徳の避暑山荘・外八廟を訪れたわけであるが、今日からは北京市内の故宮(紫禁城)、頤和園、天壇を巡ろうということになっている。
紫禁城はいわずとしれた明、清朝550余年にわたる宮廷である。その交代劇については、「紫禁城の夜明け」で述べた。
紫禁城の面積はどこかに「72万m²」と書いてあったが、現在の故宮を歩いても、とてつもなく広く大きい。日本の皇居「115万m²」よりも、こちらの方がでかく感じるのはなぜだろうか? その理由は歩いているうちに分かった。故宮には樹木や草花が少ない。植えてあっても限られた空間にだけ、つまり整然として建つ宮殿の敷地に園が人工的に造られている感じがする。だから、印象としてはまるで巨大な〝軍艦〟である。一方の皇居は、そうは思えない。樹木や草花が続き、自然の中に城が建っている感じがする。
大袈裟にいえば、自然さえも理屈で制しようとする中国王朝と、自然環境と共にある日本王朝の相違が王宮に表れているような気がする。
加えて、色彩も侮れない。画家の古澤岩美や梅原龍三郎は、紫禁城を訪れ、その輝く甍を描いている。倣って私も、描いてみた。ご覧の通り、だいたい黄色か金か赤で塗れば、それらしくなる。
なにせ中国では黄金の屋根を持つことができるのは、皇帝と孔子と関羽だけらしい。たぶん、孔子は漢族が、関羽は満族が奉っていた最高の人物だからだろう。
その点、東京の皇居を描くとしたら、そんなに色は使わない。空の青さや松の翠は別として、だいたい白と黒で間に合うだろう。
中国式の躍動する色、日本式の静かなる色彩。この違いはいったいどこから来たのだろうか?
【紫禁城 ☆ ほしひかる 絵】
それでは中国の庭園はどうだろうか? 避暑山荘(564万 m²)もそうだったが、頤和園(290万 m²)もとてつもなく広大である。とくに湖 ― 避暑山荘の澄湖、頤和園の昆明湖 ― は海のように広い。だから、自然が蔽っているかというと、そうでもない。皇家の離宮のせいもあるが、建物も負けずと立派である。これも日本の庭園とは違う。それに、頤和園の石舫とは何だろう。船の形をした石の建物が湖に浮かぶ。どういう発想から造られたのだろう。
北京は、金・元・明・清・中華人民共和国の千年間、都であり続けた。これからも当然まだ続く。その帝都の証明のひとつが北京南郊に聳える天壇である。漢の時代から、陰陽思想に基づいて都の南に置かれていることになっているらしい。そこは、天子のみが天を祀ることができるという儒家の天命思想によって、大陸の主権者が五穀豊穣を天に伝える場所である。謂ってみれば、冬至の日、天帝と地上の王者とが会見を行う場所であった。
その天壇に上がった井上靖はこんな詩を遺した。
・・・・・・ ・・・・・・ この壇の上に立った一つの精神に、天帝はいつも口を寄せて囁いていたのだ。汝はこの壇の上に立ってしまった、孤独なる者よ、汝にはもはや荒淫と殺戮以外、いかなる生ける験しもないのだ、と。 ― 井上靖「天壇」―
梅原隆三郎や平山郁夫らも訪れて天につながる塔を画にしている。倣って私も描いてみたいが、畏れ多くてまだ筆がすすまない。
☆「王以民為天 民以食為天」
北京ではちょいちょいと麺類を口にした。
そもそもが、ホテルのバイキング式朝食は洋食がベースなのに、麺もあった。日本流でいえば生麺のうどんと蕎麦であった。
昼は炸醤麺を食べた。北京人は夏には炸醤麺をよく食べるらしい。これもうどんである。それに豚肉と醤が加わっている。
夜は王府井の屋台で麺を食べた。これもうどん、スープは鳥と塩味で美味しかった。
そういえば、ホテルで同室の青さんは「北京で蕎麦を食べたい」と云ってホテルのパソコンで調べ、「西貝夜面村」という料理店を探り当てた。でも、ホテルの係の人に訊いてみたら「交通が不便な所なので、旅行者には無理だ」と言う。ところが、彼の思いが強かったのか、偶然にもその店を頤和園に行ったとき見つけてしまった。私と青さんは寄りたかったが、皆さんとの団体行動を乱すわけにはいかないので、諦めてメニューだけ見てきた。苦蕎麦(ダッタン蕎麦)の字が目に入った。
市内を散歩しているとき、スーパーマーケットで乾麺の蕎麦を見つけた。
ちなみに、中国ではスーパーマーケットは「超市」、コンビニは「便利店」だ。さすがは≪漢字文化同盟国≫の兄貴分だけあって粋な処理である。
弟分の日本はといえば、ひらがな、カタカナと、日本の文字を創意工夫したまではよかったが、日本の文字が通じない西洋人のために親切にもローマ字という摩訶不思議な字まで準備してしまい、文字が氾濫する結果となってしまった。度が過ぎた親切は仇になることがあるというが、その通りだった。終戦直後に乗り込んで来たマッカーサーは「独立国でもないくせに、ひら仮名、カタカナ、漢字があるとは生意気だ。日本の文字は廃止して、ローマ字にしろ!」と言い出した。恐ろしい話だが、外来文化に弱いインテリ派は賛成した。読売新聞などは「漢字を廃止せよ」という社説を発表し、私の好きな志賀直哉も賛成。啄木の『ローマ字日記』のようなものが流行ったりした。
幸い、この占領施策は、庶民が反対してくれて実現には至らなかったが、笑えない。われわれは今、パソコンではローマ字入力をやっている。「その方が速い」、「効率がいい」というが、それは錯覚だ。日本人なのにわざわざローマ字入力をする滑稽さ。いつの時代も外来文化に弱いインテリ派は自分の拠って立つ所を見失ってしまうのだ。そのため、色んな方面で日本の軸が壊れかけている。
ただ、ここでちょっと安心したのは、携帯メールが日本語入力になったことだ。これも庶民派がどこかで阻止してくれたお蔭だろうと思っている。
話が横道に入ってしまったので、麺ロードに戻ろう。
「ホテルの朝は蕎麦だった」とか、「超市で蕎麦を買った」とか書くと、あちこちで蕎麦が見られると思われるだろうが、実はそうでもない。たとえば乾麺にしても、どこの超市でもというわけではないし、またあったとしても並べてある麺の数十束のうち蕎麦は一束しかない。もっといえば、どうも当地の人は、うどん、蕎麦、ラーメンの違いを余り気にしていない。ツルツルであればいいようだ。だから、彼らはひっくるめて「麺」と表現していることが多いし、「うどんか、蕎麦か、ラーメンか」と論争する日本人とは視点が異なっている。同じ≪麺文化同盟国≫だというのに、どうしてだろう。
思うに、汁・スープの違いが関係しているのではないだろうか。
軟水の国日本の汁のだしは、鰹節や昆布を長く煮て余分な雑味が出ないうちに短時間にさっと引いて旨味を取り出す。
ところが硬水の国中華のスープは、豚や鶏肉の旨みを徹底的に抽出するのが基本である。
あっさりした汁には余計なものは合わない。そこで茹でた麺だけが勝負となり、日本人の関心は、その素材であるうどん、蕎麦、ラーメンに目がいってしまう。
一方の中国人は時間をかけてじっくりとったスープにはさらにこってりした具を用意する。となるともう麺はもはや問題ではなくなる。
そこで素材を活かす日本料理とか、味は創造すべきとする中国料理とか、水の料理、油の料理とかいう分類がなされるわけである。
この中国人の時間をかける料理への〝思い入れ〟は、『漢書 ― 酈食其傳』や『史記 ― 酈生陸賈列伝』にある「王以民為天 民以食為天」(「王は民をもって天となす 民は食をもって天となす」)によってさらに育まれてきたのではないだろうか。この言葉の出典は孟子である。本来は「王者は、民を飢えさせてはならない。それが政治だ」という思想であろうが、中国ではそれ以上に重視して食文化大国を築き上げてきた面がある。
ともあれ、わが国が麺をもって天となす≪麺文化同盟国≫の一員であることには変わりない。
参考:『井上靖全詩集』(新潮文庫)、安藤百福『麺ロードを行く』(講談社)、ほしひかる筆「水の国から火の国へ」(蕎麦春秋VOL.2)、ほしひかる筆「蕎麦談義43話」(フードボイス)、司馬遷『史記 ― 酈生陸賈列伝』(平凡社)、
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕