【12月号】 将軍達と江戸野菜の記録
2016/06/15 執筆者:auc_shonin
伝統野菜の話にはそれぞれ物語がある。江戸東京野菜も同じで、特に幕府が置かれたことで、将軍にまつわる話がいろいろと残っている。
秀吉が好んだことからマクワウリ畑での遊宴は戦国武将たちの習いとなったが、徳川家康は、真桑瓜の栽培適地を探していた。
関東総鎮守六所宮(現・大国魂神社)に秀忠(二代将軍)を連れて参拝、鷹狩や、鮎漁もできる多摩川が近くに流れる府中の地を選び御殿を建てている。
秀忠の時代(元和3年)に御瓜田を設置し、美濃国真桑村から農民を毎年呼び寄せ、マクワウリを栽培をさせてお城に納めさせている。
文政の江戸町方書上によると元和年間、府中より先に多摩郡柏木村に将軍家の御前栽瓜田が設けられていた。
江戸城に近い柏木村鳴子に御前栽畑を設けてマクワウリを栽培させたことから、子供のころから食べていた三代将軍家光はマクワウリが大好きだった。
内藤新宿(現・新宿) の四谷で販売したことから、鳴子瓜として四谷の特産物となっている。
浅草の北東にあたる隅田川の東岸、隅田村に四代将軍家綱の御前栽畑が設置され、マクワウリを初めスイカなども栽培されていた。
特に栽培されていた茄子は、周辺にも伝わり寺島茄子として、江戸市民に好まれ、現在は第一寺島小学校で復活し、地元商店街で町興しに使われている。
練馬大根は五代将軍綱吉が尾張から取り寄せた大根のタネを練馬の農民に栽培されたのが始まりで、その後、大きな大根は全国へ土産として持ち帰られ、庄内の干し大根、薩摩の山川大根、信州の前坂大根などは有名で、あの三浦大根の一方の親でもある。
六代、七代将軍は在位期間が数年と短いので、八代将軍吉宗となると小松菜の話が有名だ。
鷹狩で江戸川方面に遊んだ時、昼食に地元の祠(新小岩の香取神社) で馳走になった餅の澄まし汁に入っていた青菜の味が気に入り、この地が小松川だから「小松菜」と名付けたと同社に伝わっている。
十一代将軍家斉には、三河島菜の話が伝わっている。
江戸時代初期から、江戸では漬菜と云えは「三河島菜」と云われるほど定着していたが、
家斉の時代に地元の観音寺のに伝わる記録によると、「鶴御成り」鷹狩に出向かれたた時に三河島菜を将軍に提供した記録が残されている。
弘化二年(一八四五)二月、将軍世子徳川家定(後の十三代将軍)が鷹狩りをした際、御膳所(休息所)に指定された新堀(日暮里)の浄光寺では、献上物に三河島菜を差し上げていることが、浄光寺が記した「弘化二年乙巳二月十一日 御成御用留」(日暮里浄光寺所蔵) でわかる。
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江戸東京野菜は、江戸からの伝統と季節を味わう野菜で、もちろん地場野菜です。
地方からやってくる季節の先取り野菜より、ずっと個性的です。
(農産物の生育は天候に左右されますので、収穫予定は変わることがあります)
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