第176話 江戸蕎麦料理 ― 冬の章
《 蕎麦膳 》八
☆江戸蕎麦料理研究会
「女性客は手ごわい」。これは神楽坂『東白庵 かりべ』の店主の言葉である。
説明を加えれば、女性客は、日本酒、おつまみ、料理、蕎麦はもちろん、蕎麦湯、デサートまですべて美味しくなければならないし、それらを盛る食器、部屋の設え、応対もレベルの高いものを求めるという。
対して、別の料理店の主人は「目の前の料理には手も触れないで、焼酎ばかり飲んでいる客は男性に多い」とぼやく。
確かに、男性の食の世界と女性の食の世界は違うところがあるのかもしれない。
7年ぐらい前だろうか、『それでいいのか蕎麦打ち男』という本が話題になっていた。そこからくるイメージは修行僧のような顔をして「蕎麦打ちは奥が深い」と渋く呟く姿である。しかし、そんなに固まってばかりいては発展性がないだろう。広い視野とバランス感覚が必要であることは食の世界でも同じである。それゆえに、そういう男の世界とは違った蕎麦の世界を描けないものかと思ってみた。とはいっても、新しい世界を開発するのは難しい。
そういうとき、私の経験からいえば、実力のある人にご協力をいただければ、その壁を破ることができる。
幸い、江戸野菜研究においては第一人者である大竹道茂先生と、常にクリエイティブな料理を目指されている林幸子先生との交流があった。そこで、「江戸蕎麦+江戸野菜=江戸蕎麦料理」という方向を考えてみた。これなら、江戸蕎麦というコンセプトもぶれず、かつ拡がりが期待できる。
そう思って、江戸蕎麦料理研究会を立ち上げ、足かけ2年を経て、江戸ソバリエ・レディース・セミナーを企画してみた。
☆江戸ソバリエ・レディース・セミナー
「江戸蕎麦」というのは、蕎麦という食べ物が大都市・江戸で高品質になったものと考えていい。
対して、「江戸野菜」というのは、江戸の土で作られた野菜である。もう少し付け加えれば、江戸に幕府がおかれると全国から人・金・物が集まってきた。そのとき各地の野菜の種子も持ち込まれ、江戸の各地で栽培されるようになった。それらは後に江戸っ子好みの品種へと改良され、江戸の野菜として定着していったのである。
しかしながら、明治、大正、昭和の戦前・戦後の近代化を経て、昭和40年代に入ると、江戸野菜は均一化の波に呑まれて市場から姿を消していった。
それが昨今の「地産地消」という考え方から、江戸野菜が今再び注目され、さらには最近の野菜にはない、独特の香り、食感、食味が人気となり、脚光を浴びているのである。
江戸蕎麦料理研究会では、そのことを大竹先生に教えていただき、林先生が江戸野菜を使った料理を創作された。
今回のセミナーは「冬の江戸野菜」、つまり練馬大根、伝統小松菜、青茎三河島菜、それに蕎麦を使った料理をご披露しようというわけである。
献立は下記の通りだが、私は自分の会のときは献立表を作ることにしている。それにはシェフや当事者の思想が表現されていなければならないと思うからである。ただ、今日の献立は「冬の江戸野菜」という方針が貫かれているから、いわずもがなである。
さて、林先生とはわずか2年弱のお付き合いであるから、すべてを学んだわけではないが、少なくとも林幸子ワールドには2つの特色があるように思える。
ひとつは「なるほど、ガッテン」と納得がいくもの。もうひとつは「思わず目が点になり、舌を巻いてしまう」出会いである。
たとえば、私が《霙とうじ蕎麦》を作るとしたら、レシピに「できるだけ薄切り」と書いてあるにもかかわらず、スーパーで買ったシャブシャブ用を買ってきて使うだろう。油揚げも、ついついいつものように横切りにするだろう。
ところが、豚肉はより薄い方が絹のように上品で、薄揚げは縦に切った方が霙が絡みつく。だから、林先生は肉屋さんで切り具合まで注文して購入する。
《風呂吹き大根》にかかっている昆布もそうである。「とろろ昆布」より、「おぼろ」に火を通せば一味違う。
●材料(4人分)
蕎麦・・・・・・・・・・・・・4人分
豚しゃぶしゃぶ用・・・・・・・300~400g
(できるだけ薄切りのもの)
油揚げ・・・・・・・・・・・・2枚
伝統小松菜・・・・・・・・・・1/2束
青茎三河島菜・・・・・・・・・4~5枚株
練馬大根(おろす)・・・・・・・4カップ
<A>
濃いめの出汁・・・・・・・・4カップ
塩・・・・・・・・・・・・・大さじ1~1+1/2
みりん・・・・・・・・・・・大さじ1
●作り方
(1)蕎麦は固茹でにします。
(2)油揚げはペーパーと一緒に渦巻き状に巻いて強く握って油を吸い取り、縦に細切りにします。
(3)小松菜は根元を切り落として長さを2等分に切ります。
三河島菜は2cm幅の斜め切りにします。
(4)練馬大根はざるに移して軽く水気を切り、煮立てたAに加えて再び煮立てば、(1)(2)(3)豚肉を好みの順に加えて煮ます。
すべからく、縦か横か、厚くか薄くか、太くか細くか、火を通すか通さないか・・・・・・。林先生は理に適った工夫をされるので、われわれは「なるほど、ガッテン」と納得のいく味を楽しめるのである。
それから、もうひとつの「目が点になり、舌を巻いてしまう」という料理であるが、それはこれから春の章、夏の章、秋の章と第四樂章まで続くので、期待していただきたい。
参考:《 蕎麦膳 》シリーズ(第176、171、170、166、157、154、153、150話、)
「江戸東京野菜通信」12/18記事 http://edoyasai.sblo.jp/
〔江戸ソバリエ認定委員、エッセイスト ☆ ほしひかる〕