第369話 想い出のサンフランシスコ
2016/08/11
久し振りに夕食を自宅で夕食を食べる日があった。たまたま点けたテレビの画面を眺めていると、見覚えのある光景が映っている。暫く見ていたら、やはりそうだった。サンフランシスコの街だった。
ゴールデンゲート・ブリッジが映り、BGMに「想い出のサンフランシスコ」の曲が流れる。定番だ。日本でいえば、富士山が映って、尺八か琴の音が流れるようなものだ。それでも、ゴールデンゲート・ブリッジはきれいだ。やはり絵になる。
話は帰国したころに飛ぶが、あるラジオ番組から「サンフランシスコのことを話しませんか」というお誘いがあったので、ノコノコと出かけて行ったそのときに「ご希望の曲を」と言われたので、「ジュリー・ロンドンの『想い出のサンフランシスコ』をお願いします」とリクエストした。なにせ彼女のこの歌を初めて聞いたのは学生時代だった。ハスキーな声に「大人の女の唄だ!」と思ったのが、この曲だった。
さて、番組はNHK「家族に乾杯」海外スペシャル編だった。元サッカー選手の澤穂希さんとコメディアンの鶴瓶さんがカメラ隊を引き連れてサンフランのベイ・エリアを歩いている。そのうちにBGMはミニー・リパートンの「Lovin' You」に変わった。これにも驚いた。私のお気に入りの曲で、小説『コーヒー・ブルース』の中でも重要な役割をもたせた音楽だったからだ。
そうしているうちに澤さんが「日本食を食べたくなった」と言い出したことから、一行の足はジャパン・タウンへと向かった。ベイ・エリアからジャパン・タウンからはそう遠くない。街に着くと、日本人も歩いている。シンボルである五重塔も映っていた。懐かしいな♪
というのは、2007年の4月、江戸ソバリエの仲間17人と「The 40th Cherry Blossom Festival 」で蕎麦打ちをするため訪れたとき、宿泊した「都ホテル」もこの街にあったのである。
サンフラン行きの話は「かんだやぶ」の堀田先生がもってこられた。そして行きかがり上、先生もご一緒のサンフラン訪問となったのであった。
当時のわれわれ活動は、現地の新聞雑誌も書いてくれた
見出しは、「江戸ソバリエに学ぶ蕎麦」、「A Soba Making Experience in SanFrancisco」、「The 40th Cherry Blossom Festival 写真特集」。
帰国してからも、2紙が採り上げてくれた。
「江戸ソバリエ17人 サンフランシスコでそば打ち」、「ソバリエ海を渡る」。
いずれも、ワクワクするよう見出しを付けてくれた。
話をTV番組に戻すと、澤さんは和食屋「三船」に入っていって、うどんを食べた。三船の箸袋も映っていた。「ああ、『三船』か!」 すっかり忘れていたが、ここの店にもお世話になった。蕎麦打ちの準備、慰労会などをこの店でやった。
このとき澤さんが一緒におられたら、たっぷりお蕎麦を食べてもらえたのに・・・と思いながら、テレビを観ていた。
それから数日して、そのとき一緒にサンフランへ行ったMさんから電話をもらった。彼は近ごろやたらと海外での蕎麦打ちに精を出している。その彼が「もう一度、サンフランシスコに行きたい」と言い出した。というのは、彼がこうして海外へ出向くようになったのは、サンフランシスコへ行ってからだという。念のために訊いてみると、先日の「家族に乾杯」は観ていなかったらしい。
「そうか。でも、マ、思い出のサンフランシスコぐらいでちょうどいいじゃないの」と言おうと思ったけれど、Mさんの本気度が高そうだったので、おざなりの台詞ではいけないと思い、つい言葉を飲んでしまった。のだが、想い出のサンフランの街を歩く日は、果たして・・・!
参考:月刊『もん』2007年5月号)、『日米タイムズ』.5. 1、『Nichi Bei Times』May 3-9、『毎日新聞』4. 28、『東京新聞』5. 2、
〔江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる ☆〕