第375話「蕎麦の花咲くころ」
崇高な文人たちが詩情豊かな作品を遺してくれたお蔭で、関係する所が後世の人たちの「憧憬の地」あるいは「聖地」のようになることがある。
たとえば、唐の詩人白居易(772~846)が「村夜」という詩で詠った渭村下邽(現:中国陝西省渭南市北)である。
白居易は40歳のときに母を亡くし、喪に服するために故郷の村に退去した。そこである夜に白い蕎麦畠を見て、亡き母(57歳)とわずか三歳で短すぎる命の灯を消してしまった愛娘を偲びながら涙の詩を詠じたという。
もうひとつは、韓国の作家李孝石(1907~42)が小説『蕎麦の花咲くころ』で描いた蓬坪(韓国江原道平昌郡蓬坪面)である。
この二か所が、蕎麦を愛する人なら一度は訪れてみたい憧れの聖地となった。
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蓬坪はソウルから東へ約2時間、海抜700mに位置する所にある。途中から蕎麦畠が山の麓に散在し、その白い花に目をうばわれる。
蓬坪を流れる興亭川の畔まで来ると、2万坪の蕎麦畠がズンと広がっている。
今はまだ昼間だけど、夜ともなれば、蕎麦の白い花が月明かりに映えて月の息づかいすら聞こえ、息も詰まるほどだという。
そんな蕎麦畠で、『蕎麦の花咲くころ』の主人公許生員が蓬坪一番の別嬪といわれる娘と出会ってしまった。しかし翌日、娘の一家はそろって村から消えた。村人たちは、極貧ゆえに「娘は売りとばされた」と噂した。
貧乏の上にあばた面の許生員、女とはまったく縁のない寂しくねじけた半生をおくってきたが、あの夜の娘の姿だけはけっして忘れることができない。
許は元々清州出身。太白山脈を越えた江陵で仕入れた太物(木綿や麻織物)を売る行商人。たまに隣の郡の堤川や忠州へ行って商うこともあるが、ほとんどは蓬坪面や大和面など平昌郡内の面(村)から面の市場を巡って行商を続けている。それもあの娘へよせる僅かな恋心のせいだろうか。平昌郡にいるかぎり何処かでまた会うことができるかもしれないとの切ない思いをだいていることすら自分でも気付かない愚直な男。
小説は、これだけである。哀れで寂しい話だけれど、白居易の「村夜」同様、なぜか読む人の心を安んじさせるところがある。
蓬坪へ行くと、本物の驢馬や模型の驢馬をよく見かける。
女には無縁だった許にとって、荷を運んでくれる驢馬だけが半生を共にしてくれる同志だった。
今や、その驢馬は蓬坪一帯のシンボルになっている。
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そんな蓬坪では毎秋、蕎麦祭が行われる。道端には往年の市場にも似た店が居並ぶ。加えて、今年は清州と蓬坪で第13回目の世界ソバシンポジュームも開催された。韓国でソバのシンポジュームを開くなら、許の故郷清州か、村一番の美しい娘と出会った蓬坪しかないということだろう。
もはや李孝石は、いや許生員は韓国ソバの神様となったのである。
《参考》
第117話「村夜」 https://fv1.jp/2419/
李孝石『そばの花咲く頃』(岩波文庫)
〔文・写真 ☆ 深大寺そば学院 學監 ほしひかる〕