第183話 記念日
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 ― 俵 万智 ―
こんな衝撃的な短歌がはやったことがあった。
記念日も自他いろいろあるだろうが、次のような話も大事な記念日のひとつである。
☆2月4日 ― 春分の日+結婚記念日
「2月4日に入籍することにしました」。
ある会で江戸ソバリエのHさんとお会いしたとき、そう言われた。
「おめでとうございます」とお祝を申し上げたものの、まだ私はその意味が分かっていなかった。
「この度、年越蕎麦コンクールに応募するためにいろいろ調べていたら、節分、とくに立春って大切なことだナと思ったのです。だから2月4日に婚因届を出すことにしました」。
「え~!」 今度はよく理解できた。しかも感動的な話だった。
確かに、江戸ソバリエ協会は平成23年度、平成24年度と、年越蕎麦コンクールの作品を募集していた。そしてHさんも応募されていたのだが、彼女がおっしゃったことはこういうことだった。
・昔は「節分蕎麦」すなわち立春、立夏、立秋、立冬に頂く蕎麦、とくに「立春蕎麦」を「年越蕎麦」と呼んでいた。
・それが今、大晦日に食べる方を「年越蕎麦」と言っているが、昔はそれを「大晦日蕎麦」と呼んでいた。
いずれも、「お蔭さまで今年一年(春夏秋冬)無事過ごすことができました。来年もよろしくお願い申し上げます」という意味合をもっている。
では、この「よろしくお願い申し上げます」というのは一体誰に対して発信しているのか? それはおそらく「1年という人生の一齣を無事に乗り切ることができました」という天への御礼、と同時に自分自身が真剣に生きたことの確認なのであろう。
このような形で昔の人たちは、ハレの日をハレの日として大切にし、蕎麦を頂いていたのである。
そんな豊かな心を尊ぶHさんは「偉い」と思った。それだけでも「年越蕎麦コンクール」を実施した甲斐があったと感涙したいほどであった。
そして話はまだ続く。Hさんに「この話を開示してもよいですか」と尋ねたら「恥ずかしいですが、私としても色々な方に節分蕎麦、年越蕎麦の意味を知っていただきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。」とのご快諾を頂いた。ますますもって素晴らしい方だと感心した。
☆2月7日 ― 100歳の誕生会
前菜 子持昆布と菜の花
養老海老と空豆の黄身酢掛け
造り 本日のお造り三種盛り
煮物 甘鯛の桜蒸し
焼物 鰈西京焼き
強肴 佐賀牛ロース網焼き
彩り野菜添え 豆鼓風味
蒸物 蟹の餡掛け茶碗蒸し
御飯 じゃこ菜飯
香物 三種盛り
留椀 合わせ味噌汁
甘味 デザート盛り合わせ
これは昨年、実家の近所にあるホテルニューオータニの「日本料理 楠」で父の白寿の祝をやったときの献立である。
そのとき駆けつけてくれたのは亡き母のお茶の仲間たち、近所の方、そしてわれわれ兄妹夫婦と孫たちだった。父の誕生日は2月7日だがすこし暖かくなってからということで、3月3日に催した。だから料理は《桃花膳》と名づけられていた。
老人になるとどうしても肉を避け、魚と野菜類を好むようになるので和食にしたが、99歳の父はそれをほとんど美味しくいただいていた。
ところで余談だが、コース料理などの献立の、その内容は正式には漢字で表記し、なるべくひらがなでは書かないのが慣習だという。「正式な慣習」というのも変な言い方だが、要するに宮中ではいつのころからか西洋料理であっても御献立は漢字で記すのが慣習になった。
たとえば、鶏肉羹(←鶏肉スープ)、洋酒煮舌鮃(←舌ビラメのワイン煮)、牛酪煎牛繊肉(←牛ヒレ肉バター焼き)、といった具合に。
それに倣って一般の人も正餐の献立を漢字で表わすのが正式になったというわけだ。
話を元に戻せば、父は今年2月7日で百歳を迎えた。今度こそ本当の誕生日会をと思っていた矢先、1月末から歩行困難となった。
それで百歳の誕生会は自宅で《鰻の蒸籠蒸し》を出前してもらうことにした。ここ十数年、父は和食しか食べなくなったが、だからといって天麩羅や寿司・刺身も食べられない。百歳向けに一番いいのは魚もご飯も軟らかい《鰻の蒸籠蒸し》、ということになった。
今日も近所の人が駆けつけてくれたが、先週の日曜日には小学生の子供たちがケーキとローソクを持って来てくれたという。
子供にとっては、誕生会=ケーキ=ローソクは必須条件なのであるが、それにもまして誕生会は人生で一番楽しい催事である。そんな楽しい楽しい「お誕生日会をおじいちゃんは100回も迎えたの、スゴーイ」と、まるで長いお鼻のゾウさんや、長い首のキリンさんを初めて動物園で見たときのように感動したらしい。
幼い子供たちにそんな楽しい夢を与えてあげただけでも、父の百歳には意味があったのだろうと私も嬉しかった。
☆2月14日 ― バレンタインデイ
美味しくて、楽しいチョコレートをいただいた。知人の佐野弥生子さんから贈られてきた黒の小箱を開けると、チョコレートが4つ入っていた。
1)Dandy=ブラン・コレクシオン・ドミニカンリパブリック×コーヒー×マスカルボーネ×アーモンドリキュール
2)Gentle=レ・コレクシオン・ベネズエラ×西京みそ×白ごま
3)Smart=レ・コレクシオン・コスタリカ×しょうゆ×オリーブオイル
4)Intelligent=レ・コレクシオン・ベネズエラ×日本酒×レモン×塩
エッ! ベルギーのベルコラーデのチョコレートに、西京みそ、白ごま、しょうゆ、日本酒とは・・・。驚いた。
こんな異色の組み合わせを「フードペアリング」と称するらしい。その鍵は香りの働きにあるという。食べ物の美味しさを決めるのは香りだから、分子レベルで相性が合えば、異色の組み合わせでも美味しい物が創造できるというわけだ。
そんな考えをもってバレンタインチョコをプロデュースしたのはフードコミュニケーション・プランナー佐野弥生子+アロマセラピスト鈴木理恵のユニットだ。
そのチョコは性格占いような興味深いシステムになっていた。チョコレートを前にして、「貴方はどれがお好みですか?」というわけだ。
1)Dandy=才色兼美な愛
2)Gentle=やさしい抱擁
3) Smart=潔い告白
4) Intelligent=真摯な想い
さっそくながらと選ぶ前に、「そうだ。こういうときにこそ」と以前から気になっていた映画「ショコラ」(Shocolat)のDVDを借りてきた。
物語はフランスの小さな村が舞台、北風とともにやって来た母と娘、彼女は相手によって処方を変えてチョコレートを作ってあげる。それが偏屈な村人の気持を優しく溶かしていく・・・・・・。
そんなファンタジーな映画を観ながら、私が口にしたチョコレートは、☆☆☆だった。
コーヒーやカカオは香り高い食べ物であるが、和食では蕎麦がその横綱格である。だから、その鍵とやらをもっと勉強すれば創作蕎麦が広がってくるだろうと興味深々であった。
参考:杉森久英『天皇の料理番』(集英社文庫)、ラッセ・ハルストレム監督「ショコラ」(2000年)、
〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕