第192話 「料理が常に陰翳を基調とし」

     

食の思想家たち十五、谷崎潤一郎

 

 美味しさを理屈で説明するとき、たいてい四重の円が描いてあって真ん中から(1)基本味、(2)風味、(3)食味、(4)環境としてあることが多い。

 これを「美味しさの構造」というが、(1)基本味は甘・塩・酸・苦・旨味の五味とか、またはそれに辛・渋味を加えた七味のことである。(2)風味は香や酷、(3)食味は音、色、形、温度、硬軟。そして(4)環境は雰囲気、文化、健康などの要件である。

 この構造を見ていると、(1)~(3)は比較的料理人の、(3) (4)は文化人の範囲であろう。

 食器、建物などの文化の分野では、魯山人が言った「器は料理の衣服」は有名だが、福田浩先生(江戸ソバリエ講師)も「古い時代の料理を再現するときは、骨董から入れ」とおっしゃるほど食と器は切っても切れない。

 また「さらに、建物は料理の衣服」とおっしゃる「車屋」のご主人小川修さん、あるいは「古民家蕎麦屋を愛する会」を立ち上げた伊嶋みのるさん(江戸ソバリエ・ルシック)たちの料理を頂く部屋や建物も雰囲気ということから大切な要件である。

  そこで、今日ご紹介したいのは、谷崎潤一郎が唱える〝〟という「雰囲気」である。

 「われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのである。

 『陰翳礼讃』を初めて読んだのはたいぶ昔のことであるが、ショックを受けたことだけは今も忘れない。

 私たち日本人は「温かいご飯は磁器の碗」、「熱い味噌汁は熱を通しにくい漆器の椀」とうまく別けているが、この漆の色は幾重もの闇が堆積した黒か茶か赤。たとえ豪華絢爛な蒔絵の金色であっても、それは闇に浮かび上がる具合、燈火を反射する加減を考慮して創られたもの、と谷崎は言う。

 さらには真珠のような白いご飯白味噌豆腐蒲鉾白身の刺身、そしてねっとりしたたまり醤油、これらは闇の中で映えると、偉大なる闇を讃えている。

 『日本書紀』の「箸墓伝説」では、「時人 其の墓を号けて 箸墓と謂ふ。是の墓は 日は人作り 夜は神作る」と記述し、昼は人間が活躍する世界、夜は神の世界であることを忘れるなと警告している。

 思い起こせば、幼いころは夜が怖かった。風に揺れる木の枝を幽霊に妄想することもあった。

 それに引替え、数年前のマンションの総会時であった。ある女性が「自転車置場が暗くて怖い。もっと明るくしてほしい」と言った。「暗い!」といっても他のマンションより明るい方だったが、彼女の場合は「昼のように明るくすべきだ」と言うのであるが、その遣取はここでは省くが、宇宙飛行士の毛利衛さんが「シャトルから眺めた日本は、地球の中でも一際明るかった。他国のクルーと一緒に見ていて恥ずかしかった」と語っているほど、今の日本は「明るいことが善で、少しでも暗いのは悪である」かのような風潮があることも確かである。

 日本の家庭は、昭和30年代後半から蛍光灯になってきた。それ以前は電球だった。当時、「蛍光灯は平面的、電球の方が立体的に見える」とよく言われたものだったが、その前の蠟燭の時代は不便だったかもしれないが、素晴らしい面もあったかもしれない。

 少し前、『御法度』という映画があった。その映画は、昔はこういう暗さであったろうという想定で一貫していたが、その中に新選組の面々が蠟燭台の灯の下でお膳を並べて食事をとっている場面があった。マンションの女性ではないが、確かに陰気な食事の場であったが、現代とは異なる別世界のようであった。

 ともあれ、闇を映画で表現するのは難しい。それはやはり体験するにこしたことはない。

 というわけで、行燈、または蠟燭の灯の部屋で蕎麦膳を体験したい。そんな願望から、ある誌に寄稿を依頼されたとき、「月光礼讃」という掌小説もどきを書いたことがある。蠟燭の光の下で蕎麦を食べるというフィクションだった。

 それが仏教関係の機関誌だったため、それを読んだ知り合いのお坊さまから、「よく書いてくれた。闇は神仏の世界である。そのことを私たちはもっと知らなければならない」とおっしゃっていただいた。

 それはそれで嬉しいことであるが、本当の希いは谷崎潤一郎流の行燈の下の蕎麦会、これをいつの日かプロデュースしてみたいものだ。

 【長浦、玉江、虎の門砂場、錦町更科

 

 参考:谷崎潤一郎陰翳礼讃』(中公文庫) 、『日本書紀』(岩波文庫)、大島渚監督『御法度』(1999年)、ほしひかる月光礼讃」(『仏教の生活』平成20年、224)

「食の思想家たち」シリーズ:(第192話 谷崎潤一郎、191永山久夫、189 和辻哲郎、184石川文康、182喜多川守貞、177由紀さおり、175山田詠美、161開高健、160松尾芭蕉、151宮崎安貞、142 北大路魯山人、138林信篤・人見必大、137貝原益軒、73多治見貞賢、67村井弦斉)、

 〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕