第394話 郷土料理《水蕎麦》

      2016/12/26  

某テレビ局から問い合わせがあって、「《水蕎麦》は会津の郷土料理か?」と尋ねられた。
回答する前の一瞬に、「郷土料理というのは何だろう?」と考えてみた。
たぶん、原初は特産物の消費保存のための工夫から始まるのだろうが、そこからの1)地域産物を使って、2)独自の調理法で作り、3)長く伝承された料理になったといえるだろう。
江戸時代の「将軍家献上品」なんかも、それらから選ばれたりしている。
しかし、それでも物事は流移するものであるから、いちがいにはいえないところがある。
たとえば、仙台名物「笹かまぼこ」はもともと塩釜の名産品、宇都宮名物の「干瓢」ももともと水口(甲賀市)の名産品だった、と塩釜や水口の知人から聞いたことがある。
また、最近の、○○の餃子とか、△△のラーメンとかの新しい物は、普通は入らないだろうから、線引は難しいところがある。

さて《水蕎麦》であるが、福島の山都辺りでは、昔から慣習として水洗いした蕎麦を口に入れて出来具合を確認していたという。
そこに山都出身の蕎麦屋さんが目を付けた。彼は昭和46年に開業した人だ。
そして、昭和60年ごろになったころ、日本は「生涯学習」ということが盛んに云われるようになった。その延長線で素人蕎麦打ちブームがやってきたが、店主は、その先導者のお一人としてもよく知られているから、「ああ、あの方か」と分かる人も多いだろう。
その彼が、《水蕎麦》を平成7年に商品化した。
蕎麦は、小麦粉に比べ、蕎麦そのものの風味(野性味、香り)を味わえる食べ物である。茨城キリスト教大学の川上先生らの分析によれば、蕎麦は若葉、茸、バニラ、バラなど119種類の香りをもつという。いえば、蕎麦は香りを頂く物と理解してもいいくらいだ。だから蕎麦を水だけで食するという《水蕎麦》は蕎麦通に受けた。なかなかのアイディアマンだと思う。
そんなこともふくめて、《水蕎麦》は郷土料理か? と問われれば、そういうところがあるかもしれないが、あくまで蕎麦を楽しむ一過程法であると考える。
しかしながら、これまでも度々ふれてきたが、蕎麦の美味しさは、1)蕎麦そのものも重要であるが、2)つゆの美味しさが決め手である。すなわち、蕎麦とつゆ(出汁+返し)の出会いによって「日本蕎麦」が完成したのである。

よく、世間は「あなたは◎派か、△派か?」と右左の選択を迫ろうとする。たとえば天麩羅がそうである。「あなたは、つゆ派か、塩派か」と責めに責められ、路頭に迷い、その結果として江戸生まれの天麩羅が消滅しつつある。

ここは、◎(つゆ)が一番目、△(水)が二番目という風に縦の思考をした方がよいように思う。

(なぜ、最近の日本人が、横の思考だけに陥り、縦の思考を怠るようになったかについては、またの機会に述べたい。)

《参考》
・村松友視『桐屋 夢見亭』

〔文・絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる