第400話 「のし」を付けて贈ろう
~ 伊勢神宮参拝記-2 ~
蕎麦の中に「寒晒蕎麦」というのがある。江戸時代、信州高遠藩や高島藩の名産で、将軍家への献上品だった。地方には、他にも贈答品とされる名物が昔からたくさんある。
そう思えば、献上品や地方の名物は地域産業の柱でもあったが、我々はそうした物をお贈りするとき、「のし」を付ける。
ここで疑問がわく。
日本人は、なぜ贈物に「のし」を付けるのか?
【答】 ー それは元々熨火鰒を包んで贈ったことに由来するらしい。
それなら、なぜ熨火鰒か?
聞くところによると、伊勢神宮では神撰として、生鰒や干鰒や熨火鰒が供えられるという。
じゃあ、なぜ鰒なのか?
不思議だと思いつつ、それを探るために当地へやって来たが、「あわび」は一般的には「鮑」と書くが、伊勢神宮では特別に「鰒」の字を使うらしい。それに、鰒は貝なのに、どうして「魚」篇だろうか?
ますます、鰒が、いや伊勢の鰒が特別なもののように見えてくる。
その熨火鰒は、伊勢ではこうやって作るらしい。
鰒が一番美味しいのは若い鰒。だから、5. 6月になると海女たちの鰒漁が盛んになる。海女が素潜りして磯金を巧みに使って採ってきた鰒の身をヘラで剥がし、熨火刀で長さ3~4mぐらいに桂剥きにする。そして、それを一本一本竿に掛け、その上から白い布を被せてぬるま湯を掛け、4~5時間かけてさらに伸ばしていく。
そして半透明の琥珀色になった生乾きの物を竹筒でまた伸ばし、そして切る。これが写真右のような熨火鰒である。
とくに火でのす(熨火)わけではないのに、なぜか「熨火鰒」と書く。いってしまえば伸し鰒であるのに・・・。
とにかく、こうして作った熨火鰒は高価な贈答用となる。
ところが、一般では熨火鰒を贈る代わりに、
① 黄色の紙を熨火鰒に見立てて包み、贈物の象徴として使うようになった。
② そしてそれがさらに単純に図形化され、
③ 果てには単に「のし」という字をデザイン化しただけのものも登場するようになった。
この②③がデパートやお店で包んでくれる、いわゆる「のし」である。
それにしても、なぜ鰒が貴重なのか?
1)基本的には、鰒が食べて美味しいこともあるだろう。
2)背景として、中・韓・日では古くから鰒が縁起の良い物とされているせいもあるだろう。
しかし、それだけだろうか?
天照大御神の伊勢への遷宮は、弥生・古墳時代の祭政一致から祭政分離時代への
移行だと解釈されている。
であるなら、なぜ伊勢が選ばれたのか?
そこに問題があるようだが、よくいわれていることは、
1)伊勢は大和から真東の天照すクニ、
2)かつ海女が働く豊饒の海。
おそらく、太陽信仰と海の匂い ― これに誘われてのことだったろう。
3)そのことは、先祖の血の誘惑ということもあったかもしれない。
哲学者の和辻哲郎らは、現王朝は北九州の邪馬台国の東遷だと唱えている。民俗学者の谷川健一もその東遷には二度の波があったと述べている。
そして彼らの祖先は、北九州の海人族だったことが『魏志倭人伝』の記載からうかがえる。すなわち「今倭の水人、好んで沈没して魚蛤を捕え・・・」と記載されている。
その水人とは、安曇族、墨江(住吉)族、胸形(宗像)族などの入墨をした多くの海人族であった。「アズミ」「スミノエ」「ムナカタ」の呼称は入墨からきている。
彼らは近畿で王朝を建てた後も東へ侵攻した。その足跡は住吉神社や、安土、安曇郡、渥見半島などの地名として残っている。
追記であるが、神宮皇后と行動を共にした墨江族は、後に住吉神として祀られ、その三神である底男筒命(そこつつノみこと)・中筒男命(なかつつノみこと)・表筒男命(うわつつノおノみこと)は、海底・海中・波の上を表わすというのも、いかにも海人族の神らしい。
4)さらにもう一つ加えると、当時の政治事情ということがあるだろう。
伊勢神宮の遷宮は、天武(在位:673~686)か、持統(在位:690~697)か、元明(在位:707~715)のころとされているが、天武天皇すなわち大海人皇子(おおあまノみこ)を養育した海部荒蒲(あまノあらかま)一族の拠点が伊勢湾だったというのだ。
元々、当地には「沖魂」という海神が祀られていたが、それが伊勢神宮になったと哲学者の上山春平は言っている。要するに、海部氏は氏神を天武天皇に奉げたのかもしれない。おそらく荒蒲という男は相当忠義心のある人物だったのだろう。
とにもかくにも、おそらく、たぶん(誰にも分からないから、こういう言葉になるが、)、こうした理由の全てが伊勢の鰒をアリガタイ、特別のものに昇格させたのだろう。
参道を歩いていると、幸い「熨火鰒」が売っていたので、お断りして写真に撮った。
その店の二階は「あそら」という茶屋になっていた。
ちょうど、昼刻だ。《鰒の炊込御飯》というのもある。今日の散策にピッタリだったので、頂くことにした。
その御献立は次のようなものだった。
一 食前酒
一 小鉢 黒豆 紅白なます
一 珍味 子持時雨 海胆海月
一 焼物 鰤の照焼
一 煮物 筑前煮
一 御飯 鰒の炊込御飯
一 椀 雑煮
一 香物 地の御漬物
一 一口 善哉
帰り際、「あそら」って何? と思って尋ねると、安曇磯良(あずみノいそら)から採ったという。成るほど。いわれればそんな名前の伝説の男がいたな!
《参考》
・梅原猛『日本学事始』(集英社文庫)
〔文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる〕