第428話 白鳳仏に乾杯

     

~ 国宝=道心のある人 ~

☆国宝白鳳仏
今日は深大寺そば学院の8回目の開講式が行われた。
式終了後には学院長による国宝指定記念講話があった。
それによれば、国宝になった深大寺白鳳仏を発見したのは、東京大学助手の柴田
常恵であるという。
明治42年(1909)、友人である森鴎外の弟潤三郎らと深大寺を訪れた彼は、たま
たま元三大師堂内の須弥壇の奥に横たえて置かれてあった仏像を見つけたのだという。
とうぜん、その日から様々な疑問が呈されるようになった。
「なぜ、大師堂内の須弥壇の下、つまり床の下に隠されていたのか?」
「この白鳳仏は、元から深大寺に所属していたのか、あるいは他の寺院から運ばれてきた仏像なのか?」
それを推理しようとするとき、1)深大寺が慶応元年(1865)に火災になり、本堂をはじめ諸堂の多くを焼失したことと、2)慶応3年(1867年)に、先ず元三大師堂が再建されたことを念頭におかなければならない。

この「先ず元三大師堂が再建された」というのは、どういうことだろうか?
慶応元年に本堂が火災になったとき、まだ隣の大師堂は無事だったのだろうか?
だから、燃え盛る本堂から、問題の仏像をとりあえず大師堂の須弥壇の奥に避難させたのだろうか?
ところが、その大師堂にも火が移った!
ただ、幸いなことに半焼にとどまった!
だから、先に大師堂が再建されたのだろうか?
再建は慶応3年のことであるが、そのときも仏像はそのまま横たわっていた。
・・・とでも想像しなければ、火災後に先ず再建されたこと、大師堂の床の下に仏像が隠されていたことの説明がつかない。

とすれば、「仏像は昔から本堂に安置されていた」ということが想定される。
そもそもが、この仏像は古に法相宗であったころの当寺の本尊であったと伝えているという。それを補足するかのように、天保12(1841)年の「分限帳」や、明治28(1895)年の「深大寺創立以来現存取調書」や明治31(1898)年の「深大寺明細帳」には、この像を指すと考えられる記載があるらしい。
そんないわく付きの仏像を、柴田は発見したのであるが、それからの柴田は八面六臂の活躍をして、これを白鳳仏であるとした。

ここで、もうひとつ謎が生まれた。
この白鳳仏は誰が造ったのか?
和辻哲郎は大きな寺社には仏像を造る専門家がいたと述べている。
その点、ご住職は「大和の福信という人が造ったという説がある」とおっしゃった。
「福」という字の付く人は、古代史ではだいたい渡来人であることが多い。
そもそもが、深大寺創建伝説に福満という人がいる。歴史的に有名なのが天智天皇のころに百済から渡来した鬼室福信・集斯父子という人もいる。それから、9世紀には日本橋に鎮座していたという福徳稲荷神社というのがあるが、ここは渡来人たちの武蔵への上陸地点だともいわれている。
とにかく、彼ら帰化人たちが造った仏像が飛鳥時代とは違った日本的仏像の第一ステップ(白鳳仏)だったのであろう。

深大寺の釈迦如来倚像は新薬師寺(奈良市)の香薬師像と鶴林寺(加古川市)の聖観音像に守られておられる。他に深大寺には龍角寺(千葉県栄町)の薬師如来坐像の仏頭などもある。もちろん深大寺像以外はレプリカであるが、見ようによっては深大寺はまるで白鳳仏に囲まれた天寿国かのようである。

☆祝賀会
講話後は、会場を移して「深大寺釈迦如来倚像国宝指定記念・張堂御住職深大寺入山50年記念」の祝賀会が開催された。
会場となった蕎麦屋「水神苑」には、そば学院の1期生から7期生までの卒業生、学院スタッフの深大寺一味会深大寺そば打ち倶楽部、深大寺、そして夏に献そば式を行っている江戸ソバリエ石臼の会らの有志約80名が駆けつけた。
最近は、深大寺そば学院と江戸ソバリエ認定講座の両方を受講される方が増えてきており、両者は兄弟校のような関係になっている。だから、お互は顔馴染みだ。これも蕎麦のご縁である。
それに、このような国宝指定記念祝賀会に参加できるというご縁は、めったにあるものではない。なぜなら「国宝=人類の未来につなぐ宝」である。だから皆さまもどことなく晴れがましいお顔をされている。
そこで、乾杯役をご指名された私は、つい「国宝に乾杯」と加えさせてもらった。

しかしながら、「国宝指定」なんていう慶事は、黙って座しておれば向うから訪れるようなことでは決してない。
ご縁を大切にご尽力されたご住職の姿勢が慶事を呼び寄せるものだと思う。最澄は「道心のある人、それが国の宝だ」とおっしゃったというが、まさにそれだ。

祝賀会の中で、「天皇陛下にも国宝をご覧いただきたい」とか、「写真家の土門拳が白鳳仏と18歳のころの吉永小百合さんを一緒に撮っているから、小百合さんをお呼びしたい」などと話題になったが、もしかしたら実現する日がくるのかもしれない!

〔文・写真 ☆ 深大寺そば学院學監・江戸ソバリエ協会理事長 ほしひかる