第207話 マンハッタン・スケッチⅠ

     

☆自由の女神 

   東京都に都内と都下があるように、ニューヨーク市も中心部と外辺部に分けられる。

 地図を見ると、中心部は西に流れるイースト・リバーと東のハドソン河にはさまれたマンハッタン島。その、南のロウワー・マンハッタン、真ん中のミッド・タウン、北のアッパー・サイド地区では、各々景観がまったく違うという。さらに踏み入ると、ロウワー界隈にはチャイナ・タウン、リトル・イタリー、ソーホーなどが、ロウワーとミッドタウンの間には、グリニッジ・ビレッジ、グラマシー、チェルシーなどが、アッパーはセントラル・パークを挟んで、イースト・サイドとウェスト・サイドに分かれている。

 それを南北にアベニュー、東西にストリート、斜めにブロードウェイが貫いている。

 アザー・ニューヨークとしては、マンハッタン島北のハーレムと、島外にあるブルックリン、クイーンズ、ブロンクス地区。

 島と陸をつなぐのはイースト・リバーに架かるブルックリン橋、マンハッタン橋、ウィリアムズ・バーグ橋、クイーンズ・ミッドタウン・トンネル、クイーンズ・ボロ橋、ということになる。むろんハドソン河にも橋は架かっているが、向こうはニュージャージ州になる。

 さて、地図はこれくらいにして、マンハッタンを歩いてみよう。

 この度は、ニューヨークでテレビ番組を制作しておられる知人の山岸正明さんのご案内で、マンハッタン巡りをすることとなった。

 マンハッタン地図

  「思った以上に、崇高なお顔だ!」

 ニューヨーク港の入口ともいえるリバティ島に象徴的に立つ「自由の女神」を見たときの私の感想であるが、なさけないくらい表現力に乏しい。

 同じ感想でも、明治38年7月に女神像を見た永井荷風はこう述べている。

 「自分は今までこのような威儀犯すべからず銅像を見た事はない。覚え知らず、身をなげうってその足下に拝伏したいような感がするので、自分は身中のいずこにか祖先以来の偶像崇拝の血が遺伝されているためであろうかとまで怪しんだが、やがて、この深い感動は全く銅像建設の第一義ともいうべきその位置選択の宜しきが故に外ならぬ事を気付いた。(略) この銅像は新大陸の代表者、新思想の説明者であると同時に、百万の要塞よりも強力な米国精神の保護者である。」

 懐かしの映画『猿の惑星』のラスト・シーンを思い出せば、この女神像の頭が象徴的に映し出されていたが、それはまさに荷風が見抜いた通りの、アメリカの精神の表現であった。

 「自由の女神」像の高さは、女神像だけでも46.1m、手にしているトーチが6.4m、それが27.1m台坐の上に堂々と気高く立っている。フランスの彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディ(1834~1904)の作で、1886年に建造された。発想から実現まで21年を費やしたその物語はあまりにも有名だが、荷風はその偉業を一言で「神にも等しい」と称えて終らせている。この筆致にも荷風らしい凄さがあると思う。

 自由の女神 挿絵 ほし

  リバティ島と並んでいるのがエリス島。この二つの小島は観光船の一時間コースの定番となっているが、船からでも古風なヨーロッパ調の屋敷というか、古城のような赤っぽい建物が見える。かつての移民管理局である。飛行機がなかった時代は、必ずここを通らなければならなかった。そう思いながら眺めていると、『ゴッドファーザーⅢ』の中で、マイケル・コルリオーネの長男アンソニーが歌った「太陽は燃えている」が今にも耳に聞こえてきそうだった。この曲は私の耳楽コレクションの映画音楽部門では一、二に入るお気に入りの曲だ。

 『ゴッドファーザーⅡ』では、1901年にシチリアのコルリオーネ村から逃げて来た少年ヴィトーが、ニューヨーク行きの船に乗り込み、このエリス島の入国管理所を通ってマンハッタンへ上陸する。長じて、その少年がゴッドファーザーへとなっていくのであるが・・・。

 Harbor Cruises】 

マンハッタン 挿絵 ほし

 古い時代、マンハッタン島へ上陸するときは南端のバッテリー・パーク辺りから入ったのだろう。幕末の1860年に、日本のサムライ77名もこの地を踏んだ。おそらく、ニューヨークを訪れた最初の日本人だったろう。

 「万延元年の遣米使節団」とも呼ばれている一行は、正使艦ポーハタン号と護衛艦咸臨丸に乗船してアメリカへやって来た。うち、警護の役割を終えた咸臨丸はサンフランシスコから日本に引き返し、ポーハタン号はワシントンへ向かって、任務である日米通商条約の批准書を交換し、帰りにニューヨークへ立ち寄った。

 四輪馬車に乗った77名のサムライたちは、プリンス街のメトロポリタン・ホテルに向かって、パレードをした。警護の兵士たちは8,000名もいたという。ブロードウェイ沿いに建つ各ビル、そしてホテルの窓には日米の国旗と歓迎の垂幕が飾られていた。

 「Japan and United States Friendly Nation」

 「1860  Peace, Progress, Prosperity」

 驚いたことに、ニューヨークにおけるパレードはこの遣米使節団が最初だという。

 さらには、このパレードの見物人の中には自由主義の詩人、あのホイットマンもいたというから、歴史とは面白い。

 詳しくは、別のブログに「ブロードウェイの華麗なる『対極』」という拙い小説を書いてみたので、目を通していただければ幸いだ。

 使節団一行が泊まったホテルというのは、今の地下鉄Prince St. の近くにあったのだろう。

 私と今回の旅行の相棒松本行雄さんは、その地下鉄でいえば3駅南に下ったCortlandt St. で下車した所のミレニアム・ヒルトン・ホテルに宿泊した。

 ホテルは例の旧世界貿易センタービルの真向かいである。現在、幾つかの新ビルが建設中。われわれが泊まったのは9月7日~11日、つまり「9.11」の式典に合わせるかのようにして泊まっていた。

 ホテルの玄関側から見れば、2001年のその日にWTCの左右から二機の飛行機が突っ込んできたようだ。もう12年も経つが、アメリカ人にとってはショッキングな事件だっただけに、今日の式典にも多くの警察官、消防士、遺族、関係者、報道が詰めかけていた。

 

【ミレニアム・ヒルトン・ホテル(ホテル正面と部屋から見える教会)】 

 

9.11 式典

  冒頭で、島を南のロウワー、真ん中のミッドタウン、北のアッパー・サイド地区と分けてみたが、南から発展していったマンハッタンはそう単純ではない。南地区は下町でありながら、かつての世界貿易センターはむろんのこと、世界に名高いニューヨーク証券取引所や金融機関などの超高層ビルが林立している。東京式にいえば、大手町と浅草をごった煮にしたような街だ。

 【ニューヨーク証券取引所】 

 

 

☆ニューヨークを理解するための参考作品Ⅰ

永井荷風『あめりか物語』(岩波文庫)、ピエール・ブール原作、フランクリン・J・シャフナー監督、チャールトン・ヘストン主演『猿の惑星』(1968年)、フランシス・フォード・コッポラ監督、ニーノ・ロータ音楽、ロバート・デ・ニーロ主演『ゴッドファーザー PART II』(1974年)、『ゴッドファーザーⅢ』(1990年)、宮永孝『万延元年の遣米使節団』(講談社学術文庫)、

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる