第208話 マンハッタン・スケッチⅡ
☆ジャズ・エイジ
ミレニアム・ヒルトンの反対側に回れば、「ニューヨーク市地下鉄A線」のフルトン駅があり、その線には「A Train」が走っている。デューク・エリントン(1899~1974)の、あの「Take The A Train♪」のA Trainだ。
10代の後半、私は小さなラジオでよくジャズを聞いていた。ラジオは曲を選択できないから、一方的に流れてくるものを聴くだけだったが、そのうちに初期のニューオーリオンズ・ジャズとか、カウント・ベーシー楽団、デューク・エリントン楽団、ベニー・グッドマン楽団、グレン・ミラー楽団などの戦前のスイング系ジャズと、そして戦後のモダン・ジャズの判別がつくようになった。そのなかのモダン・ジャズ系にも、クール・ジャズ、ウェスト・コースト・ジャズ、イースト・コースト・ジャズ、フリー・ジャズなどの変遷があることもチョッピリ分ってきた。
私が好んだのは、後から見れば、イースト・コースト・ジャズ=ニューヨーク黒人ジャズだった。
アート・ブレイキーやマックス・ローチのドラムス、ミルト・ジャクソンのビブラフォン、マイルス・デイビスやクリフォード・ブラウンのトランペット、ホレス・シルバーのピアノ、ソニー・ロリンズやオーネット・コールマンやジョン・コルトレーンのサックスの音とリズムに胸を躍らせていた。
なかでも、日本人が好むサックスやビブラフォンは、私も好きだったが、いかにもジャズの本道のようなマイルス・デイビスも聞いていて心地よかった。
何しろ当時はニキビの中・高校生、何かを探そうとしている青春時代だ。たぶん、過去のジャズよりも、戦後生まれのモダン・ジャズの方に何かを期待していたのかもしれなかった。
それに女性ジャズ・シンガーも好きだった。女性ジャズ・ボーカルの草分けであるエラ・フィツジェラルドやダイアナ・ロス、ここら辺まではラジオの方がレトロな音調にピッタリだった。その後の、声量豊かなサラ・ボーン、「ニューヨークのため息」と呼ばれたヘレン・メリル、ジャズ・シンガーとはいえないけど、クールなペギー・リーやハスキー・ボイスのジュリー・ロンドン・・・・・・、これらはステレオの方がその雰囲気によく合っていた。
とはいっても、田舎の10代の少年に何枚もレコードを買うお金なんかない。ただただラジオから流れるジャズに、一人でしびれていた。
ジャズに関する映画も、ビデオ・DVDもよく観た。
1920年代のニュー・オリーンズ・ジャズを扱った『ブルースの誕生』、 ルイ・アームストロングも出演していた『5つの銅貨』、 他に『ジャズ・シンガー』、『グレン・ミラー物語』、『ベニー・グッドマン物語』、 マイルス・デイビスが音楽を担当した『死刑台のエレベーター』、 バーナード・ハーマンのサックスが流れる『タクシー・ドライバー』、 ハービー・ハンコックが音楽を担当し、サックス奏者デクスター・ゴードン主演した『ラウンド・ミッドナイト』、 「DIZZY club」が出ていた『モ'・ベター・ブルース』、 1939年にBlue Note レコードを創立した物語『BLUE NOTE a history of modern jazz』では「Village Vanguard」を知って、ニューヨークにあこがれた。 『シュガー・ヒル』は、ジャズ、ファンク、ソウル、ラップ、ヒップホップ、ブラック・コンテンポラリー、アフリカン・ミュージックからゴスペルまで、さまざまなブラック・ミュージックの挿入曲が全編に流れて、圧巻だった。 残念なのは、見逃した『ニューヨーク・ニューヨーク』『真夜中のジャズ』など幾つかがどうしても見つからないことである。
そして、大学生のとき、長野の小諸城址で出会った乞食坊主、彼が奏でる草笛が、ソニー・ロリンズのサックスと同じ音色で聞こえたときの感動、耳楽コレクションのNo.1として今も大切に耳の奥に仕舞っている。
そんな私にとって、「A Train」はヨーロッパの「オリエント急行」にも匹敵する夢の電車だった。聴いてから半世紀経って暑い地下鉄で巡り会い、耳に飛び込んできたA Trainの騒音は、デューク・エリントン楽団が演奏するジャズに聞こえたから不思議だ。
それにしても、ニューヨークの地下鉄は、自転車も、犬も乗ってくる。路上ミュージシャンも車内・構内にかかわらず演奏を開始する。山岸さんによれば、「ニューヨークは何であり」のクニだと言う。
「ハーレム・ノクターン」でおなじみの、ハーレムを観光バスで通ったとき、目に入った「アポロ・シアター」。思っていたより案外低い建物であったが、「ああ、あそこでエラ・フィツジェラルド、ダイアナ・ロス、サラ・ボーンらが歌っていたのだ」と思うと、夢の実現に等しい喜びであった。
それにしてもハーレムは、ちょっと通り過ぎただけでも、無言の叫びのような声を感じる。見上げると、ハーレムの旗がはためいていた。
その夜はダウン・タウンの「Blue ♪ Note」で食事をした。今週のジャズ・メンはJoe Sample & The Creolejoe Band、先週は女性ボーカル、来週はビブラフォンと続いているようだ。黒人ジャズメンの歌っているとき、演奏しているときの喜びに満ちた顔、「ジャズはオレたちのミュージックだ」と言わんばかりの板に付いたあの独特の演奏振り、そして客の歓声・・・。10代のころの自分がタイム・スリップしてニューヨークにいるという不思議な戦慄に涙が出そうになった。気のせいか、その夜の時間はアッというほど短かった。
ところで、大学に入って、間もないころだった。Kという友人の下宿を訪ねたとき、彼は1枚のレコードをかけてくれた。Kは「いいだろう、いいだろう」とニコニコしながら、「もう一度聞くか」と念を押す。それが、私が初めて聞いたビートルズだった。今まで聞いていたジャズというのは、若者にとってはチョット大人への扉を開けさせてくれるミュージックだった。しかしビートルズの、音を押し潰したような歌声は、それに対して「背伸をするナ。大人になるナ」というメッセージが隠されているような気がして、ショックだった。その後のビートルズは、私の印象とは反対に、アッという間に世界の音楽になってしまった。その前のプレスリーから兆候はあったが、それでもプレスリーのロックはまだアメリカのミュージックであった。だが、ビートルズからロックはグローバルな音楽となり、ジャズ、シャンソン、カンツォーネ、タンゴといった「おらがクニの音楽」は下火になってきた。
高級住宅街アッパー・サイドは緑も多い。並んでいるビルはヨーロッパ調の立派なものばかり、そのビルの色調は何とも表現しがたい微妙な色をしていた。そのうちのウェスト・サイドのダコタ・ハウスにはジョン・レノンと小野ヨーコが1980年12月8日まで住んでいた。その日、ジョンはこのハウスから出て来たところを撃たれた。
映画『ジョン・レノンを撃った男』やいろんな読み物を見ても、なぜ彼が撃たれなければならなかったのかサッパリ分らない。そういえば、ケネディ大統領も、貿易センタービルも、本当に攻撃される必要があったのか、と疑問に思う。
アメリカの音楽には、ジャズの他にもうひとつある。ミュージカルである。
私たちはブロードウェイ・ミンスコフ劇場へ行って、「ライオン・キング」を楽しんだ。これは相棒の松本行雄さんの強いリクエストだった。彼はほんとうのところ「キンキーブーツ」を観たかったらしいが、「演劇のアカデミー賞」ともいわれる「トニー賞」を受賞したばかりで、プレミアムが付いて手が出なかった。その授賞式はラジオシティ・ミュージックホールで行われる。われわれもホールの前を何回も通ったが、実のところ、私はミュージカルに詳しくなく、トニー賞の何たるかも知らなかった。
しかし、私は彼のミュージカル・センスを信用していた。随分前だったが、彼が推薦した映画『アマルフィ』を見て、挿入歌のサラ・ブライトマンの歌声にすっかり魅了されてしまったことがある。だから、今回も文句なく彼にしたがったが、やはり正解だった。
大掛かりの舞台、アフリカン・アート、とくに父ムファクが息子に王としての心構えを慈愛に満ちた声で歌って聞かせる場面は、英語のわからない私でも父親の愛情がよく伝わって、心に染みた。他のミュージカルも見たくなったほどだ。
ニューヨークへ来たなら、ジャズ・クラブと、ブロードウェイのミュージカルは欠かせないだろう。
【ブロードウェイ・ミンスコフ劇場】 【ライオンキング ☆ 挿絵 ほし】
☆ニューヨークを理解するための参考作品Ⅱ
『ジャズ・シンガー』(1927年)、ヴィクター・シェルツィンゲル監督、ビング・クロスビー主演『ブールースの誕生』(1941年)、アンソニー・マン監督、ヴァレンタイン・デイヴィス脚本『グレン・ミラー物語』(1954年)、ヴァレンタイン・デイヴィス監督『ベニイ・グッドマン物語』(1955年)、ルイ・マル監督、マイルス・デイビス音楽『死刑台のエレベーター』(1957年)、メルヴィル・シェイヴルソン監督、ダニー・ケイ、ルイ・アームストロング出演『5つの銅貨』(1959年)、マーティンス・コセッシ監督、バナード・ハーマンのサックス『タクシー・ドライバー』(1976年)、ベルトラン・タヴェルニエ監督、ハービー・ハンコック音楽、サックス奏者デクスター・ゴードン主演『ラウンド・ミッドナイト』(1986年)、スパイク・リー監督『モ'・ベター・ブルース』(1990年)、レオン・イチャン監督、テレンス・ブランチャード音楽『シュガー・ヒル』(1993年)、アンドリュー・ピディングトン監督『ジョン・レノンを撃った男』(2007年)、オリバー・ストーン監督『JFK』(1991年)
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕