第460話 天目山から白富士を望む
~ 蕎麦奉納の儀から ~
青々とした空の下、甲州の山並みが続いている。あれはたぶん小金沢山(2014m)、牛奥ノ雁ケ腹摺山(1994m)、黒岳(1988m)、大蔵高丸(1781m)、ハマイバ丸(1752m)の山々だろう。
天目山に立てば、真正面の黒岳と大蔵高丸の向うに白い富士が見える。
今まで蕎麦の旅を重ね、あちこちの山を見てきたが、やはり富士山はちがうオーラを発している。だから皆、スマホを取り出して写真を撮ろうとするが、美しく撮るためにはそれなりの撮影技術がともなうものだ。見た目には威厳に満ちた大きく白い富士だというのに、自分で撮った写真は小さく普通の山に写っている。残念だ。そこで、帰ってから、記念に絵にしてみた。
この記念とは何かというと、今年から天目山栖雲寺の境内に「蕎麦切発祥の碑」の説明板が立てられた。その原案を小生が書いたというわけだが、「蕎麦界のためにお役に立てたのが嬉しい」という記念だ。
ところで、当山の業海和尚が、甲州のこの地を天目山と定めたのは、辺りの景観が自分が修行した杭州天目山にそっくりだったからであるという。
そんな杭州に惚れ込んだ業海和尚が、杭州で学んだであろう蕎麦打ち技術を直接甲州へ伝え、やがて当地が「蕎麦切発祥の地」といわれるようになったのだと考えてもおかしくないと思う。
では、甲州と杭州の景観がそっくりだというのは、どのことを指しているのだろうか?
冒頭の、甲州の山並のことだろうか。それとも栖雲寺の有名な巨岩の庭のことだろうか。
そのうちの山並の方は、まがりなりにも今回絵にしてみたけれど、巨岩の庭はまだ描いたことがない。というよりか、数十個の巨岩のある迫力ある景色は、なかなか絵にすることが難しい。
なぜ難しいのか。
日本には甲州の昇仙峡や木曽の寝覚の床などの巨岩・奇岩の地はたくさんある。しかし、それらは清流が生んだ実に日本的な景勝ばかりある。
ところが、ここ天目山の巨岩は日本的な感じが全くしない。
だから、描くのが難しいのである。
筆が動いた先述の山並と、筆の動かない巨岩の景観。ここから考えられることは杭州と似た景観とは、この巨岩の奇景のことではないだろうか。
と、未だ観ぬ杭州の景色を想いながら、そういう風に考えてみた。
栖雲寺の青柳住職の話では、来年の蕎麦奉納はもっと盛大なものにしたいという。そのときまでは、何とか絵にしてみたいものである。
《参考》
*平成29年11月12日 第3回天目山栖雲寺蕎麦奉納
〔文・挿絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕