第464話 年越しの深大寺蕎麦
毎年12月24日には「深大寺そばを味わう集い」 が開催される。 もう十四、五年も参加していると、この会で蕎麦を頂かなければ年を越せない生活になった感がある。
思い起こすと、深大寺とのご縁は、私が勤務していた会社の後輩に「門前」の浅田さまの親類の方がいらっしゃったことに始まる。
ソバリエ事業を開始する前ごろ、私は初めて浅田様をお訪ねし、そしてご住職に江戸ソバリエ・シンポジュームの講師をお願いした。その後小生が深大寺そば学院の講師をお引き受けするようになり、続いて石臼の会のそば守観音さまへの献そば式が始まって、お蔭さまで現在は江戸ソバリエと姉妹のように親しい関係を続けさせていただいている。
そういうお付合のなかで、『江戸名所図会』の「深大寺蕎麦」の再現と、共に韓国へ蕎麦旅行をしたことは、私の蕎麦歴に多大な影響を与えた事であった。
それによって、蕎麦の見方が、歴史的に深まり、地理的に広くなったことはまちがいない。
さて、この「深大寺そばを味わう集い」では、1)深大寺で収穫した蕎麦を味わうことはメインであるが、2)それと、近隣地区で獲れた蕎麦が振舞われることになっている。その近隣の蕎麦として、以前には千葉在来のお世話をしたことがあるが、今年は「仙波(栃木県)の蕎麦を使用したい」という要望だったので、それを使用している出流山(栃木県)の蕎麦屋さんをご紹介した。
そんなことから、今年は出流山の蕎麦屋を代表して「さとや」さんと「いづるや」さんも参加された。
出流山の蕎麦屋さんとは、今年《出流 白そば》と《古江戸そば》の命名をさせてもらったご縁があったから、今日にいたったわけであるが、それより特質すべきことは、出流山地区には《盆ざる》という盛り方が今も生きていることである。この《盆ざる》は、私の眼には『江戸名所図会』の「深大寺蕎麦」に描かれている大笊と重なって見えるのである。
それに出流山の蕎麦は、深大寺と同様に始まりが「寺方蕎麦だった」と伝えられている点でも相似している。
だから、私は蕎麦研究という視点から両地区がもっと交流してもらいたいと願っている次第である。
〔文・写真(深大寺窯の戌の土鈴) ☆ 深大寺そば学院 學監 ほしひかる〕