第466話 癒しの伊東

     

~ウンナンの会の合宿より~

☆伊東の郷
熱海駅に‘黒船’が待っていた。
といっても、それは電車の名前である。洒落たデザインの電車だった。
私たちウンナンの会の面々は感動しながら乗り込んだ。すると、椅子が広い窓ガラスの方を向いている。伊豆の海を眺めながら、旅をお楽しみくださいというわけだ。
今日は気候もよく、初島に寄せる波も穏やかだから、優雅な一時を味わうことができそうだ。
そういえば、あの源実朝も鎌倉時代に、この伊豆の海を眺めていた。
箱根路を われ越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波のよる見ゆ実朝
沖の小島というのは初島のことだ。だけど、「その初島の波は、箱根の山から見えるはずがない」なんて、野暮なことを言うのは日本人ではない。
日本人は全景を観ながら、映像作家のカメラのように焦点を段々と絞り込み、想像する能力をもっている。だから、実朝の眼には箱根の山から初島の波が映って見えるのである。

実朝の約700年後に作られた石川啄木の歌も映像的であることはよく知られている。
東海の 小島の磯の 白砂に われなきぬれて 蟹とたはむる啄木
先ず大海原の映像が映し出され、そしてグッと焦点が絞られると海の小島が現れ、さらにはその磯の白砂が見えたかと思ったら、一気に足元の蟹と戯れるいじけた場面に絞り込まれていくというわけだ。日本人でさえ、舌を巻く映像力豊かな作品である。

そんなことを想っていると、電車が伊東に着いた。
温泉に入って、夕食は蟹や鯛など海の幸の食べ放題。「蟹を食べるときは皆、無口になる」と言い訳しながら、蟹とたわむれるようにしてむしゃぼった。
その後は部屋に集まって蕎麦トーキング。さすがは蕎麦の会だ。
先ずは、平林さん、高橋正さん、高橋龍さん、赤尾さん、吉岡さんがラダック行の報告会、そして寺岡さんや矢澤さんら各自が蕎麦への熱い思いを語る。
皆さんの心は学生時代の合宿のように熱い。ただ、体力だけが!!!・・・。というわけで、12時になって雑魚寝方式で蒲団に入った。

翌朝、ホテルを出て松川(音無川)に沿って、駅まで歩いて行った。
空は広いし、海もおとなしい。流れる川の水は澄み切って、錦鯉がスイっと泳いている。その上を水鳥がぽっかり浮いている。
岸辺に並ぶ樹木は河津桜だろうか。
「高層ビルに閉じ込まれている生活から、偶に脱して自然に戻らないと、ストレスに襲われる」というようなことをある脳学者さんがおっしゃっていたが、いわれるまでもなくこういう所に来れば、気分が癒される。

☆頼朝伝説
歩き続けると、川の右側に音無神社の森が見えた。
頼朝は伊豆に配流されていたので、あちこちに伝説を残しているが、あの森で頼朝と伊東祐親の娘八重姫が忍び逢いをしていたという。
伊東祐親はというのは伊東荘の豪族であるが、本家は工藤一族。流人頼朝の監視が役割であった。余談だが、武家は土地を開拓し、地名を名乗ってゆくことはこのエッセイシリーズでもしばしば述べているところであるが、この一族もそうであった。工藤氏から伊東氏、河津氏、曾我氏が派生する。相撲四十八手の一つ河津掛けや、『曽我物語』に名を残すなど、各氏には各々の物語があるが、それはさておき、祐親は二人の仲を知って激怒し、娘と頼朝を引き裂くばかりか、生まれて間もない赤児まで川に投げ捨てた。
ところが懲りない頼朝は、今度は北條時政の娘政子に手を出した。時政は渋々二人の仲を認めた。
ここに歴史を動かす梃子がある。恋に堕ちた娘を許したか、許さなかったかで、家の運命が変わったという話が、あの音無の森にあるというわけである。娘を許さなかった伊東祐親家は頼朝挙兵によって滅び、許した北條時政家は源家と共に、鎌倉時代という歴史を動かしてゆくのである。

☆杢太郎の歌碑
話は明治・大正・昭和の時代に飛ぶが、音無川の沿道には石に刻まれた木下杢太郎の歌がたくさん見られた。彼はこの伊東の出身だから近くに記念館もある。ずっと昔、訪れたことがあるが、彼は医師でありながら、文学者であり、絵も描いていたため、多くの遺作が保存されていた。
そのうちの作品の中に「朝の新茶」という杢太郎30歳のときの詩がある。

かゝる朝、庭を歩み
草上に坐して新茶を啜れば、
五月の朝のはれやかな心の底に、
世界のいづく、草の葉の一つにだに欠けざるかの一味の
悲哀の湧くこそ覚ゆれ
木下杢太郎「朝の新茶」(『食後の唄』)

「草上に坐して」とあるが、その前に庭を歩いているようだから、このときのお茶は野点のお茶ではないだろう。とすれば、茶碗を両手に包み、熱いお茶をしみじみとして啜りながら、世界のことを思っている杢太郎の姿が浮かんでくる。
とうぜん、この場合の「啜る」は、蕎麦を粋に啜るときとは違った「啜る」になる。だから私は、「啜る」のも一様ではないことをこの歌で知った次第である。

☆東海館
川沿いに風格のあるレトロな建物が見えてきた。川辺の松の木々共々景色がいい。建物は「東海館」といって、昭和3年創業の温泉宿だったが、現在では文化施設として保存されている。
木造三階建ての館内に入ると、広い。廊下と階段を使って部屋を巡っているうちに迷子になりそうである。多くの部屋、幾つもの階段、そして方形望楼と・・・、このレトロ館は子供のような冒険心を満たせてくれるようなところがあって、楽しかった。
それにしても一拍2日の伊東の郷には癒された。それは景色と天候の穏やかさばかりでなく、互に配慮し合う皆さんの、紳士的な態度が大きいだろう。

〔文・写真(音無神社の絵馬) ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる