第474話 サムライ文化
「ブラジル料理をもっと日本人に食べてもらいたい。そのための普及活動を行っています。」
ある勉強会で、ブラジルの方がそうご挨拶された。
後の懇親会で、ある方がそのブラジル人に対して言っていた。
「なかなか難しいことですよ。そもそもブラジル料理というものが日本人の口に合わない。そういう点では、カレーを参考にしてみたらいい。カレーは日本人の口に合ってきたから、国民食になった。」
周りの人も納得したかのように肯いておられたようだが、真面目に考えると、
そこがちょっと可笑しなところである。
先ず、ブラジル国の全料理と一品料理のカレーを同じ俎板にのせて論じるのは
まやかしだ。それに日本のカレーはインスタント料理であって、インド本来の料理ではない。ここもまた可笑しい。
第一、 ブラジル国の料理が日本人の口に合ってないというなら、インド国の料
理だって同じだ。日本人に広く好まれているわけではないだろう。
当然だが、どこの国も特有の料理がある。ということは他国人には合わないのが道理であって、それを異国の人の口に合わせよというのは無茶振りの要求だ。カリフォルニア・ロールみたいにアメリカ人がアメリカ人の口に合わせるのはよいかもしれないが、日本人自身が伝統の握鮨を変えてはならない。これは国民性、文化性の基本だと思う。
しかしながら、先述のような無責任で雑ぱくな意見というのは、世間ではよく
飛び出すことであるから、今日のブラジルの人も、さぞかし混乱されただろう。
そこで私は、ブラジルの人に「ブラジル・コーヒーは日本人に好まれるようになっている。ブラジルのコーヒーに合うブラジル料理は何ですか?」と訊いてみた。
ところが彼は、ニコニコしながら、たくさんのブラジル料理を細かく説明してくれた。
やっぱり、チンプンカンプンだ。私が聞きたかったのは、ブラジル文化と料理だったのに・・・。
世界中で美食と認められている、フランス料理やイタリア料理のことを考えてみれば、フランス料理+宮廷文化、イタリア料理+スローフードというように料理上に‘文化’を纏っている。なぜその文化が世界的に通用したかというと、フランスといえば「市民革命」と、それに対する「王族の歴史」、そしてそれ故の「宮廷料理」への憧れがある。イタリアといえば古代からの都市国家、その歴史と現在の「地産地消運動」がよく合っていたからだろう。
日本もそうである。
世界から観れば、日本は「サムライの国」として人気がある。現に、和食というのはサムライの時代である鎌倉・室町時代に生まれ、江戸時代に花開いたものである。だから和食は、日本に固有なサムライ文化〔武士道徳・粋 ⇒ 品性〕と共にある。江戸蕎麦という和食も、サムライ文化と切り離しては語れない。
だから、【サムライ文化】と並走しつつ、作り方、材料、盛付、食器、部屋、建物、服装から「和食とはこれだ」、「日本の蕎麦とはこれだ」と云わなければならない。そうすることによって日本文化の未来が開けてくると思う。
《参考》
*新渡戸稲造『武士道』
・武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。
・武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり、
*九鬼周造『「いき」の構造』
・「いき」とは畢竟わが民族に独自な生き方の一つではあるまいか。
・上品に或るものを加えて「いき」となり、更に加えて或る程度を越えると下品になる
〔文・挿絵 ☆ エッセイスト ほしひかる〕