第507話 蕎麦界の泰斗に学ぼう
当協会は、多くの方のご協力を頂きながら、江戸ソバリエ認定講座を開講している。
この講座を運営するに当たって、心に留めていることがある。
それは「大西近江先生(京都大学名誉教授)、氏原暉男先生(信州大学名誉教授)、伊藤汎先生(麺類史研究家)、新島繁先生(蕎麦研究家)は蕎麦界の泰斗である」ということである。
この先生のおっしゃったことを学べは「蕎麦学」は確立する、と私は考えている。
だから、たとえ自分が講演させていただくことがあろうが、書かせていただくことがあろうが、良くて解説者、悪くて受け売りにすぎないだろう、と私は自分への戒めと励みを忘れないようにしている。
ところで、受け売りでも勘違いはよくないと思うことがあった。
数年前のことだった。蕎麦の、ある勉強会で、ある人が「日本では1万年前から蕎麦を栽培している」と話されていた。
話のイントロではあったが、思わず私は「う~ん?」と唸ってしまった。
人類が植物の栽培に着手したのは1万年前というのが定説であるが、それは麦類であった。だから蕎麦がそんなに早くから栽培されるはずがないのである。
そもそもが、たいていの人は栽培ソバ、野生ソバ、花粉のことなどをきち
んとされず、簡単に「蕎麦」ということだけで話されるようだが、この講師もそういう傾向をお持ちのようだった。
それから約一年後のことだった。ある大きな会で名人による蕎麦打ちが行われていた。名人は「蕎麦のルーツはロシアだとか、モンゴルだとか、中国だとかと言われていますね」と粉を篩いながら話された。
たいていの人は、そんなことはどうでもいい、はやく蕎麦打ちが上手になりたいという目で名人の手元をしっかり凝視されていて、名人の雑学には馬耳東風といった感じだった。でも、一人二人は深く肯いておられたし、私の隣に立っていた人は「蕎麦のルーツ、ロシア、モンゴル、中国」とメモされていた。
私は「困ったな」と思いはしたものの、「ちがってますよ」なんて余計なことを言うわけにはいかなかった。
そもそもが「モンゴル」と言った名人も、それを聞いた人も、中国の内モンゴル自治区のことなのか、モンゴル国のことなのか、浅い認識のままのモンゴルなんだろうが、それが問題だった。
蕎麦のルーツの件はおくにしても、モンゴル族の発祥の地は中国の内モンゴル自治区のフルンボイル市だが、それとは別に独立したモンゴル国が存在する。それに蕎麦の伝統的な産地は中国の内モンゴルである。だから「モンゴル」の一言で簡単に片づけては両国民に失礼だろう。
などと言ったりしていると、「オカタイことを言うのは野暮だよ」と言われそうだけど、残念ながらそれも一理ないこともない。
わが日本では理屈を通せば角が立つ。角が立つのは料理界における切りの技だけで十分だというわけではないが、伏木先生(江戸ソバリエ講師)とお話しているときも「文化はいい加減さもふくめて文化である」というような話になったことがあった。それが人間社会の面白いところであろう。
話は飛ぶが、それ故に日本全国判で押したようなマニュアルやルール一本に走っている最近の大手組織は、裁量に人間性の幅がない。そこに私は日本の危機を感じているのだが・・・。
飛んだ話を着地させると、幅といっても、基本がしっかりあっての幅である。少なくとも前段に立って講演したり、「先生」と呼ばれるような立場の人は、間違ったことを教えてはならない。
こんなミニ体験をしたから、この度は大西近江先生にお願いして、当協会のセミナーにおいて、栽培ソバの正しい起原説を賜ることにした。先生はお体の不自由さを伴って近江からお越しいただくのだが、ご高説もさることながら、泰斗であるという人物の人間性も学びたいと願っている。
それは、“蕎麦は、中国三江生まれの江戸育ち”という江戸ソバリエの「江戸蕎麦学」をもっと豊かにしたいからだ。
〔文・挿絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕