第513話 練込と縴

     

ソバリエの木下さんの陶芸作品展に行った。
今回の木下さんの作品は、ご覧の通り練込法によって作られた、ソバリエらしい蕎麦のフルセットであった。

木下さんが参加されている陶芸教室は二種類の土を使って成形する方法で制作されており、日本では「練上」または「練込」といわれている。
焼物を美しく装飾するためには、塗る、描く、彫る、透彫り、掻落し、印花、貼る、象嵌、金彩などの様々方法で文様を表すことが考え出されたが、練込もそうした装飾法の一つである。
その練込の起源は中国の「絞胎」だという。もちろん韓国にもあって、「練里 ヨンリ」というらしい。
そうして二種類の土を使って練込むということを聞けば、蕎麦打ちにおける‘ ツナギ’をイメージする。
そういえば、江戸ソバリエ講師の石井先生も「蕎麦打ちは食べる粘土遊びだ」と言っていたが、陶芸と蕎麦打は「練る」という行為に共通点がある。
それに、江戸時代にはなかった菊練りという技法すら、陶芸をヒントにして明治以降に更科流へ採り入れられたという話もある。
縴といえば、中国の袁枚という食通が随筆『随園食単』にこう書いている。「緑豆澱粉を名付けて縴というは、舟を挽くに縴(綱手)を用いるようなものだからである。肉を調理するものが、それだけでは団子にしようとしてもうまく合わせられない。羹を作ろうとしても滑らかにできないから、故に澱粉を用いてこれを牽合すのである。」
どうやら、縴の起源も中国にあるということらしい。中国は麺発祥の地だから、当然といえば当然かもしれない
また、お隣の朝鮮半島の冷麺は、元々は緑豆の粉で蕎麦粉をつないでいたらしい。
その朝鮮から元珍という僧が、江戸初期の寛永年間に奈良の東大寺にやって来て、つなぎを教えたと、小説家で料理人の本山萩舟がそう唱えている。ただ、東大寺には元珍の名は残っていないらしい。だが、「絞胎 ⇒ 練里 ⇒ 練込」の文化伝播ルートを知れば、さもありなんと思えてくる 。
陶器の練込も、蕎麦の縴も、同じ圏内の文化だろう。

 

*菊練りは更科流へ採り入れられた、と鵜飼良平監修の『江戸流そば打ち』に書いてある。そこで、更科堀井の社長に確認してみると「そうなの? 知らない。蕎麦研究家の藤村さんあたりが言ったんじゃないの」ということだった。

〔文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる
写真:木下善衛作