第521話 竹之御所流、三光院精進料理

      2018/12/26  

今日は、ソバリエの畑さんのご案内で小金井の三光院を訪れた。勉強熱心の畑さんは、ここで精進料理を教わったらしい。
庭には沢山のお地蔵さんが枯葉の中に佇んでいた。目立つのは、大きな箸塚である。さすがは精進料理のお寺だと思った。
この三光院の初代住職米田祖栄禅尼(1907~84)は京の嵯峨野の尼門跡寺院曇華院で修行した人であるという。
曇華院というのは、最初に打倒平家の兵を挙げた高倉宮以仁王(1151~80)の第宅、その後は足利尊氏の弟直義(1306~52)の居館であった所を智泉聖通尼(1309~88:四辻宮尊雅王の女子)が通玄寺として開山した寺である。それを足利義満(1358~1408)が尼五山に列して「竹之御所」の御所号を贈った。その後、寺は戦火に見舞われ消失したため、1385年から子院の曇華院が継ぐことになった。
しかし何事にも栄枯盛衰がある。また一時廃れることがあっても中興の祖なる人物が登場することもある。竹之御所がそうであった。江戸初期に後西院帝の皇女聖安尼(1668~1712)が中興の祖となって竹之御所を立て直した。
聖安尼といえば、弟に天台座主(寛永寺)の公弁法親王(1669~1716)がいる。ソバリエが世話になっている深大寺の蕎麦を「風味がいい」と評価した人である。
という風に、歴史を紐解いていけば、曇華院では《素麺》のことを《ぞろ》と言うなど今でも宮中言葉が使われているといわれれば宜なるかなとも思うし、またご門跡になられた皇女様が召し上がる尼寺料理というものが室町時代から続いていることも想像できる。
そのような曇華院で、祖栄禅尼はお経や仏学を尼門跡(飛鳥井慈孝尼様)に学び、そして料理などは執事(吉村宗明尼様)に教わった。料理は、当然宮中の雅と禅の心が一体となった「竹之御所」独自の精進料理であった。
この習い覚えた料理を【竹之御所流精進料理】とうたって武蔵野の地に根付かせたのが、祖栄禅尼である。二代目は国際化を進めてきた星野香栄禅尼(1931~)が受け継ぎ、そして師資相承の奥義を究めた唯一人の後継者西井香春へと、三代にわたって竹之御所流精進料理を守り続けているというわけである。
竹之御所流精進料理の礎は豆腐である。
豆腐は中国の漢代頃に生まれたらしい。遊牧民族の乳製品の代用として開発されたともいわれている。その豆腐が鎌倉時代にわが国へ伝来し、水清き日本で独自に発展していったのである。
三光院の「極月~十二月の『華の餐』御献立」を見ても豆腐を材料にした料理が主である。
胡麻と片栗粉で作る豆腐ではない豆腐《胡麻豆腐》。「凍み豆腐」とも呼ばれる《高野豆腐》。三光院に咲く白い山茶花を表したという《豆腐のおすまし》。そして《香栄とう富》はよく知られており、水気をしっかり切った木綿豆腐に西京味噌などの二種の味噌を合わせて漬け込み、最後に燻製にした逸品である。
料理には、江戸の【単品料理】と、和食の【献立料理】、今でいう「コース料理」があるが、後者には一種の型がある。その型に入っていると不思議に安らかさを感じる。お寺の精進料理ともなればなおのこと。これが精進料理の心であるのかもしれない。 
今日の締めは《すすり茶》であった。香春さんは「うちはお茶で始まり、お茶で締める」とおっしゃった。これもひとつの型であろう。
さっそく、そのお茶をすする。玉露のあま味が心に染みてきた。

〔文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる