第566話 伊嶋さんを偲んで
3月のある日のことだった。突然、伊嶋様のご親族の方から電話があった。
伊嶋みのる様が胆管癌の再発で2月22日に亡くなられたという。昨日告別式を終えたところだが、「一段落してからでいいから、江戸ソバリエ協会のほしさんに連絡してほしい」ということで携帯電話番号を聞いていたとのことであった。
そのとき私は、新潟駅前から乗ったタクシーの中だったが、窓の外の小春日和にもかかわらず、胸を氷で刺されたような痛みを感じた。
というのは、墨線画家として活躍されていた伊嶋さんは、常々「江戸ソバリエになってよかった」とおっしゃられていたから、ほしに知らせてほしいという言葉がとても重く感じられたからである。
もともと伊嶋さんは設計関係の仕事に従事されていたが、若いころは画家になりたいという夢をもっておられたらしい。それが江戸ソバリエとの出会いによって、蕎麦の世界を対象とする絵を描く道ができたというわけである。
実は、昨年の12月の認定式が終わったころ、伊嶋さんから電話をもらっていた。内容は「これまで描きためた絵を協会に寄付したい」ということであった。ありがたく思った私は「じゃあ、次年度の江戸ソバリエ認定式の優秀賞の副賞に、検討しましょうか」と、ご返事申上げていたところであった。
いま思えば、あの電話は亡くなる2ケ月前! すでに覚悟されていたのかもしれなかった⁉ ・・・・・・ 命の灯が小さくなってゆくのを知ったとき、奥様に先立たれている伊嶋さんだから、身辺は自分で整理しなければというご意思をいだきながら、しかし作品は何とか残しておきたいという願いとが複雑に揺れ動いていたにちがいない。そんな姿を想像すると目頭が濡れてくる。
東京に戻ってから、伊嶋さんが関係しておられた「古民家蕎麦屋を愛する会」「うずらの会」「江戸川ソバリエ会」の小池晃様や加藤正和様と連絡し合って、偲ぶ会を開くことにした。
当日は、皆さんが伊嶋さんの作品を持参して並べ、そこに小池さんの仲間が打った蕎麦を供えた。
あらためて見直しても、伊嶋さんの描く線は上品である。私も絵を描くことが嫌いではないけれど、どうしても線が稚拙である。その点、さすがに伊嶋さんは「墨線画家」を称するだけのことはある。
伊嶋さんが「画家」を名乗ることができたのは、こうした上品さの上に、線を大切にした‘墨線画’という新世界を拓いたからであろう。
そのクリエイティブ性は、だれも名乗っていない「墨線画家」に気づいたこと、だれも注目していない分野の「古民家蕎麦屋を愛する会」を立ち上げたこと、偶にしか見られない薬味の鶉の卵に注目した「うずらの会」という会名の付け方などにも表れている。
しかし、新世界というのは一人では創れない。「事物さえ良ければ売れるというのは一見正論のようだが、それでは甘い」とは名経営者がよく語っていることである。中身の良さの上に、努力や人柄や運でさえ加わらなければ人はついてこない。その点伊嶋さんは皆さんから好かれる性格であり、筋が通っている中にも人の声を聴いた。だから伊嶋さんの絵も少しずつ変化してきた。
かくて、彼が開いた墨線画教室には人々が集まってきて、何回も教室の作品展が開催された。
偲ぶ会が終わってから、お知らせ頂いた親類の方にご報告したところ、安堵されたご様子だった。
また、小池様と加藤様のお世話のお蔭で、盟友伊嶋みのるさんの生きた実績が確信できたことに心より感謝申し上げたい。
〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる〕
写真:伊嶋さんの作品にお蕎麦を供える。
伊嶋さんが好きだったコーヒーゼリーで伊嶋さんを偲ぶ。