第569話 登録! 深大寺在来種
平成31年3月、平成最後の深大寺そば学院の修了式で、深大寺在来種が江戸東京野菜に登録されることが発表された。
JA東京中央会では、江戸期から始まる東京の野菜文化を継承するために、江戸東京野菜を登録(登録50品目)し、また別枠として穀物・果物などを参考登録(7品目)としているが、後者枠の方に深大寺蕎麦(深大寺在来種)が登録されることになったのである。
そもそもが、一帯を大きく流れていた古多摩川は大雨の度に氾濫し、‘暴れ川’の異名をもっていた。にも関わらず、洪水を確実に回避できる砦地区があった。それが深大寺地域である。あたかも水神の深沙大王に守られているかのような安全地帯であった。
それゆえに、江戸時代刊の『蕎麦全書』に記載されているごとく、現在の都立神代植物園辺りの二町ぐらいの畠で蕎麦栽培することも可能であった。
「この深大寺の蕎麦を何とか復元したい」と立ち上がったのは現深大寺山主の張堂完俊師や「門前」の浅田修平様たちであった。
彼らは地元で蕎麦栽培を続けてこられた相田辰吾氏の指導を受けながら種を播き始め、年末の「深大寺蕎麦を味わう会」の招待客に振舞うようになった。今から32年前のことである。
現在は、深大寺南町4丁目と2丁目の約2000㎡の土地を借り、約70㎏の蕎麦を収穫しているとのことである。
この度、登録に動いたのは張堂師と浅田様、それに深大寺執事の林田堯瞬師らであった。正式登録は平成最後の月である平成31年4月ということだが、これまで側面からご指導頂いた江戸東京野菜コンシェルジュの大竹道茂先生(江戸バリエ講師)のご協力は大きい。
こうした登録活動は、将来・未来のための働きである。‘自分のため’にだけ動いている人の多い現代、皆さんは‘世のため’に動いていてきた。そこが光っている。
大竹先生や浅田様とのお付合もかれこれ16~7年にもなる。そういう経緯から、江戸ソバリエ協会と、深大寺そば学院ならびに江戸東京野菜コンシェルジュ協会は協力関係にある。
しかしながら、今回の登録すなわち【在来種】の保護という文化活動は、われわれだけのためではなく、蕎麦自身にとって幸いな事であると思う。
〔文・挿絵 ☆ 深大寺そば学院 學監 ほしひかる〕