第572話 大 塚 乱 歩

     

猫の三寸返り

私の住む家から5分も歩かない所に開運坂という坂がある。
選挙の日の今日、この坂を上り、豊島岡御陵の側を通って投票所へ向かった。
御陵の樹々の若葉が陽に輝いて眩しいくらいだ。よく「春、温かくなると若葉が芽を出す」といわれるが、植物学者によると「冬たっぶり睡眠しているから目を覚ますと春だった」というのがほんとうだという。寝飽きたから目を覚ますのだというところが、面白い。
ところで最近、先ほどの開運坂で地図を手にした人がチラホラ見られるようになった。何もない静かな坂をスマホで撮っている人もいる。今までにないことだが、理由はNHK大河ドラマ『いだてん』にある。
この坂の上には韋駄天・金栗四三の先生である嘉納治五郎の邸があったらしい。嘉納は当時野原だった一帯を購入し、明治40年に坂を“開運坂”と名づけて講道館の「開運坂道場」を開いた。
講道館には加納治五郎の師範代として4人の柔道家、西郷四郎・横山作次郎・山下義韶・富田常次郎が活躍していた。彼らは“講道館四天王”と呼ばれていたことは有名であるが、そのうちの富田常次郎の息子常雄が西郷四郎をモデルにして書いた、小説『姿三四郎』がベストセラーになり、一時は映画・テレビで劇化され、歌謡曲でも盛んに歌われていた。
劇中で一番の目玉は、何と言っても三四郎の「「猫の三寸返り」であった。投げ飛ばされても着地寸前に空中宙返りでふわりと地に立つわけである。
これは行きつけの蕎麦屋「長寿庵」の二階で猫のタマを相手に研究した技であるということになっている。小柄の三四郎ならではの技であり、この技が映像での決め手となって、観客の拍手がわいたのである。もちろん富田の小説であるが、ソバリエから見ると「そうだったのか。長寿庵で」と意味もなく感動してしまう。
その四天王の一人が辺りに住んでいたという。現在も孫に当たる方の家があるが、「祖父に、治五郎さんから土地の一部をタダ同然で売ってやると言われたのに、柔道一直線だった祖父は『いらない』と断ったらしいの。そのとき買っておれば、わたしたちも楽できたのに」と大笑いされる。

今日はいい天気だ。
昔、辺りを四天王の猛者たちが闊歩していたとはとても思えないほど、並ぶ大中小のマンションには穏やかな陽が射している。
その中を歩いていると、都会の景観は兵どもが夢の跡でしかないと思ってしまう。

〔文 ☆ エッセイスト ほしひかる