第626話 世間は本当でないものを本当にする
作家の落合恵子さんが、こんなことを言っていた。
社会が定める「こういうもの」と衝突ばかりする日々をおくってきたが、それはそれで悪くはなかった。
ある日のこと、人気の講談師が説得力のある声で「昔から東は蕎麦、西は饂飩といいますが・・・」と語り始めた。お客さんも納得したように肯いているし、またお客さんが納得するようなことを言わなければ人気者にはなれない。
しかしソバリエとしては、
・「昔から」っていつのごろのこと?
・「東は蕎麦、西は饂飩」ってそうなの?
と問いただしたいところだが、相手は芸能人の娯楽番組、専門家の学会じゃないゾ。何を目くじら立てている!と叱られるだろう。
でもでも、娯楽番組だからこそこわい。なぜなら、学会よりはるかに多くの人が見てるし聞いているからだ。そして繰り返し繰り返し言われているうちに「昔から、東は蕎麦、西は饂飩」は偽りでありながら真実のようになってきて、本当のことを言おうものならと、逆に「何を変なことを言っているの」と怪訝な顔をされる。
そのうちに、専門外の学者までが「東は蕎麦、西は饂飩」と述べたりするようになってくるから始末がわるい。「専門外の学者」というのは、こういうことである。たとえば、ある科学者が何かを説明しようというときに、皆がわかりやすいようにとのサービス精神から、専門外の蕎麦・饂飩のことなどを引き合いにして「東は蕎麦、西は饂飩」というようにと自分の専門分野を説明することがある場合がそれだ。
ウソだとお思いだろうが、そんな本はたくさん本屋さんに並んでいる。怖いことだ。
また、私は講演するときに「なぜ、蕎麦をつゆに1/3付けるのか」」みたいなことを申上げることがある。
そのとき必ず質問されることが、「先生は、そうおっしゃいますが、落語では一度でいいから汁をタップリ付けて食べたいと言うじゃないですか」と反論される。
それに対して笑って済ませればいいものの、それでは今日の話は何のためだったかということになるので、「あれは落語です、いわばお笑いですよ」と申上げたりすると、質問者は却って憮然とされる。ふざけて笑いの対象にしたことが真実になってくるから、怖いことだ。
またまた、数カ月前にTV番組の調査会社から電話があった。
「大内宿では葱で蕎麦を食べさせてくれますネ。昔の人は、いつごろまで葱で蕎麦を食べていたのでしょうか?」
「▲×・・・・・・!!」電話の相手は若い女性だったが、なぜか自信たっぷりの口調だった。
空いた口が塞がらないとはこのこと。何と返事をしようか! と考えあぐね、咄嗟に当たり前のことを申上げた。「日常、葱で食べるなんて、そんなはずないでしょう。」
「・・・」 相手さんは沈黙してから、電話が切れた。
ウソみたいだけどホントの話だけに、怖いことだ。
ところで、冒頭の問題について講演で、こんなデータを使って蕎麦生産の今昔を話すことがあるので、ご紹介しておこう。
昭和33年から35年までの3年間の平均による「年間蕎麦生産量」ベスト8である。現在とずいぶんちがう。なお、なぜ昭和33年からの数字かといえば、この年から県別の統計をとりはじめたからである。だからそれ以前の蕎麦生産量は不明であるが、「昔から、東は蕎麦、西は饂飩」と決めつけられないことはお分かりいただけるかと思う。
順 道県 生産量 (t)
1 北海道 12,270
2 鹿児島県 11,160
3 宮崎県 3,600
4 茨城県 2,800
5 青森県 2,170
6 岩手県 1,740
7 長野県 1,510
8 福島県 1,220
8 熊本県 1,220
日本計 52,000
本当のものを知らないと、本当でないものを本当にする。怖いことだ。
〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる〕