第629話 白鳥麗子でございます!

     

 新聞を捲っていると、女優の松雪泰子さんが神保町の「藪蕎麦」で蕎麦を食べたことを思い出すという話が出ていた。上京したばかりのころ、集英社の雑誌のモデルをやっていたたので界隈で食事をとることがあったという。お歳から推測すると1992.、3年ごろだろうか。
そのころはまだ江戸ソバリエ認定講座は始めていなかったが、私も神田藪さんには行っていたはずである。
松雪泰子さんといえば、映画『フラガール』でいい演技をされていたが、名前が売れたのはその前のテレビと映画の『白鳥麗子でございます!』からだろう。
ただ私は、そのテレビも映画も観ていなかったけれど、何かの映画を観たときに『白鳥麗子でございます!』の予告編が放映されていた。大きなスクリーンのなかでキラキラした松雪さんの華やかな姿を見て「何と、都会的な女性だろう」と眩しく感じたものであった。同時に「松」に「雪」という日本画の絵のような美しく珍しい姓なのに、その名前にあまり違和感がなかったことを思い出す。
このときになぜ違和感がなかったか、その理由が後になって分かった。
それは、ある年に帰郷したときだった。たまたまテレビで松雪康子さん主演のドラマが放映されていた。そこから彼女は鳥栖市のご出身で、「あの辺りで『松雪さん』と呼べば100人は返事する」ということだった。ようするに松雪姓は鳥栖が本拠地ということだった。そうか、そういえば友人からも「松雪」の名前を耳にしたこともあったな、と納得した次第である。
ただ、鳥栖は佐賀県だといっても佐賀ではない。
というのは、かの地は江戸時代、対馬藩の飛び地であって、佐賀鍋島藩ではなかったから、文化圏がちがうのである。むしろ佐賀藩は長崎出島を管理していたためか、佐賀人にとっては長崎地方に親近感があるくらいだ。江戸時代の藩による文化のちがいというのは、どこの県にもある話だが、それがまだ生きているというところが、すごい話だ。
マ、それだけの話だが、単に予告編を観ただけなのにあの日の映像がまだ瞼に焼き付いているというのもおかしなことだなと思いながら、もう一度紙面を見ると、彼女は蕎麦についてそれ以上は語っておられない。けれど「神田藪」の名を口にされたということは、彼女の女優人生のターニングポイントに神田藪があったのだなということがうかがい知れた。


写真:右から更科堀井、連玉庵、神田藪、室町砂場、筆者
〔文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる