第636話 国境なき江戸ソバリエの眼
2020/05/27
「インド太平洋構想」と「一帯一路政策」
江戸ソバリエ・ルシック寺方蕎麦研究会の小島末夫さん(元ジェトロ北京センター所長・国士館大学教授)の著書である『世界の物流を変える中国の挑戦』(2017年刊)では、中国の「現代版シルクロード構想」について触れられている。
古の『シルクロード』というのは、ユーラシア大陸を通る東西の貿易交路であり、北方の草原の道、中央のオアシスの道、インド南端を通る海の道の3つのルートがあった。1980年代にはNHKが特集を制作し、喜太郎の音楽とともに大ヒットしていたことは私の世代の人はたいていご存知だろう。
それで今、当時のCDを取り出して曲を聞いてみたが、やや時代遅れの感がないでもなかった。あの頃はあんなにも歴史ロマンあふれる音楽だと思っていたのに、と意外だった。
現代版シルクロードというのは、2013年に習国家主席が提唱した、中国とヨーロッパを「陸のシルクロード」と「海のシルクロード」で結ぶ広大な経済圏構想である。その陸と海案を総合して2016年には「一帯(陸路)一路(海路)政策」とした。
陸路は中国西安 → ウルムチ → トルコ → ロシア → ヨーロッパへ続き、海路は中国福州 → 南シナ海 → インド洋 → ケニア → イタリヤ → ヨーロッパを結ぼうというものである。
であれば、前に仲間の小林照男さんや赤尾吉一さん、佐藤悦子さんと食した後、当『蕎麦談義』の「第616話 続・長~い麺の話」で述べたラグマン文化圏が、陸のシルクロードにとって最重要地帯ということになる。
そのことが「ラグマン」を書いたときから気になっていたので今回、「一帯一路」関係についてまとめにならないものを書いてみた。
中国の「一帯一路政策」の関係国は138ケ国。さらに中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)やシルクロード基金(SF)を設立した。AIIBの参加国は102ケ国、既存のアジア開発銀行の67ケ国を上回った。SFは1000億元(160億ドル)の資金を有し、プロジェクトへの融資が始まった。続いてメガプロジェクトが立ち上がり、現在各分野で多くのインフラが進行中である。
ただ、シルクロードの対象地であるEUでは「一帯一路政策」に乗る国もあるし、欧州の分断を招いていると眉をひそめる国もある。
また、このうちの「一帯(陸路)」には地政学上、当時国以外は手が出ない。
ならばというわけで、諸外国にとって関心の的は「一路(海路)」すなわち南シナ海、ないし東シナ海とということになる。そしてこの地域は広い目では環太平洋として東西南北の利害が複雑だ。現に、中国はすでに実行支配を進めていた。
そこでアメリカは、対ソ前線であった沖縄基地から対中のためのグアム島へとシフトを移そうとしているが、グアム島民の反対運動にあって苦戦している。
さらには、環太平洋諸国である日・米・豪は印を加えて「インド太平洋構想」を発表した。しかし中国の「一帯一路政策」に比べて進捗は芳しくない。どのようなインフラ投資を行って地域の連結性を高めていくのか、明確な行動計画ができていないからである。
その大きな原因は、アメリカが TPP など多国間主義から後退し、アメリカファースト主義の保護主義的な傾向を強めているからである。
元々アメリカ人には19世紀後半に活躍していたカウボーイ魂を有しているところがある。つまり自分の牧場・自分たちのタウン第一主義である。そのカウボーイ魂にトランプは火を点けて票を取ったわけである。
2020年11月の次期大統領選において、トランプが再選されたとしても、また民主党がトランプに勝利したとしてもよほど優れて突出したリーダーでないかぎり、アメリカ国民はやはりアメリカファーストを支持するだろう。
そうすると、アメリカ政府のASEAN政策は及び腰になる。それにアメリカは歴史的にいっても植民地政策の経験がないからか、対外政策に弱い。奇跡的に上手くいったのは戦後の日本統治だけ。日本人は世界でも珍しく素直な国民だからである。あとはベトナムも、イラクも失敗した。
それでも、世界は表向き第二次大戦の勝利国の秩序で動いている。もちろん中国も勝利国の仲間の一つではあるが、「!?」がないわけでもない。だからASEANはアメリカの関与が適切だと心中では思っている。また米中対立に巻き込まれたくないとも思っていてる。
中国の目指す経済圏はEUのような対等関係ではなく垂直的秩序であることもASEANは分っている。安全保障面でもASEANの自立を奪われかねないことも分かっている。
それであってもASEANは自国が渇望するインフラ整備資金の有力な提供先として、中国を除外することは非現実的であるという台所事情がある。
であるのに、アメリカといえばその手を差し伸べずに、「一帯一路」が中国自身の地政学・軍事的な影響力拡大のための手段として用いられていると非難を強める。それゆえに、ASEANは日米豪印の提唱をそのまま受け入れる姿勢を示されない。
しかしながら、この「一帯一路政策」がいかに壮大といえども、地球上のことであるかぎり陸海上のハイウェイ構想にとどまる。
ところが中国は、2018年に全世界(アメリカを抜いて、130ケ国)に向けた衛星測位システム「北斗」の運用を開始した。いわば陸海と宇宙を結んだデシタル・シルクロードの出現である。これに、ファーウェイが技術開発でリードする5Gとの連携も進め、クロスボーダーEコマース、ネットファイナンス、遠隔医療、スマートシティの世界が待っているというわけである。
そんなところに、この度の新型コロナ爆発によるパンデミックである。
新しいウイルスだから治療薬はない。ただ移らない移さないことだけで凌ぐしかない。そこで実質的なロックダウン策となる。これが民主的に行われるか、独裁的に行われるかは国のリーダー次第。ドイツ、フランス、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど多くは民主的に慎重に行ったが、なかにはハンガリーのように強権体制をとった国があり、またデジタル監視をとった国は中国、シンガポール、台湾、韓国、オーストリア、ロシアなど30ケ国以上あるという。そのほとんどはデシタル・シルクロードの参加国であり、とくにアフリカ諸国が多い。かの国の人は経済の遅れから銀行口座をもっている人はほとんどいなかった。そこへファーウェイとアリババが入り込み、スマホ決済などのスマホ対応が一気に進み、その裏ではデジタル監視が完備された。しかし法整備はなされていない。技術だけが進んだ結果のポストコロナ時代では人権を無視したデジタル監視社会へと向かうだろうといわれている。
一方、この度のコロナ禍では、世界は一致団結することはできなかった。これからも団結はできないと言われている。またほとんどの国で政治的リーダーシップを発揮することができなかった。ゆえにコロナ後の世界はリーダー亡き時代といわれる。
それでも中国の態度としては、デジタル・シルクロードはますます強化され、「一帯一路政策」はゆるがないだろう。
これまでの覇権思想は、1つの地域に2つ以上の地域秩序(構想・政策)は併存できない、ということであった。米中対立というのは、その思想に起因する。
しかし、かつてパキスタンのブッド首相は「19世紀はヨーロッパの世紀、20世紀はアメリカの世紀、21世紀はアジアの世紀」と訴えた。巨視的な見方ではそうだろう。それを解説した評論家の松本健一は、アジアは民族的固有性において多様である。その多様なるアジア的価値において西洋を包み直すことができると、アジアに期待した。
現に、ASEANの旗振役のインドネシアは独自のコンセプトを持てば自らの意思で管理できると発言している。
またインドは、独自の「インド太平洋海洋イニシアティブ」を発表した。
これは混乱ではなく、アジア的価値の包み直しへの試作であろう!!
そんな中、日本はどのような世界戦略をもってアメリカ、中国、ASEANと国交しなければならないのか。
これからも日米同盟のままか。そのなかで日中協力はありうるのか。その日中協力関係にはタイの役割が大きいといわれている。なぜならタイは日本・中国の両国と相互信頼ができているからだという。
それとも日本は、まずは近隣の韓国・台湾ときちんと付き合うべきか。あるいはオーストラリア、ニュージーランドをふくんだ環太平洋国とどう関係すべきか。
この度のパンデミックでは、われわれ人間や人間社会がレントゲンにかけられたといわれている。しかしそのなかに未来の解答があるのかもしれない。
①この度は中央政治の力がほとんどの国で役立たないことが証明された。それゆえに「自治体や市民」の出番が期待されている。世界への出番もそうであろう。
②今後、国交協力が難しかったら、われわれ国境なき江戸ソバリエが行っているような、「首都どうしの相互交流(インバウンド&アウトバウンド)」はどうか。
東京・北京・ソウル・タイペイ・バンコク・ニューデリー・キャンベラ・ニューヨーク・サンフランシスコ・・・。
③「人類はもっと謙虚になるべきだ」と元オリンピック陸上選手為末大は言う。その謙虚さには「地球の健康」という視点から人間の衣食住を見直すということも入るだろう。なぜならこの度のコロナ禍は人間の驕りから始まっているともいわれているからである。
21世紀(2001年は~2100年)はまだ始まったばかり、国境コロナ閉鎖なんて言ってられない。未来の解答はわれわれの手のなかにある。
(未完)
〔文 ☆ 国境なき江戸ソバリエ ほしひかる〕
ほしひかる画:ニューヨーク市 ブルックリン橋、 北京市 天壇