第一人者が語る【 日本の糖質制限食品の歴史⑧ 】
執筆者:auc_shonin
~日本の糖質制限市場開拓スタート~
日本に糖質制限食品・お菓子を正式に輸入できるようにするまでに、多くの方々の思いと名古屋税関の担当者の方のお力添えを頂きました。
そして、約3か月後、40フィートの冷凍コンテナでアメリカから名古屋港に糖質制限食品・お菓子が到着し、輸入が許可されました!!
その時輸入したのは、糖質カットクッキー4種、糖質カットキャンディー4種、糖質カットチョコレート8種でした。
商品が日本に到着するまでに、商品のパッケージの日本語の裏面表示、リーフレットや営業用資料、卸価格・希望小売価格、配送ルート、保管倉庫、保管管理表etcとやることは多かったですが、期待に胸を膨らませて、楽しく日本での販売準備を進めていました。
スーパー、健康食品、通販企業、百貨店、製薬会社、ドラックストアー、薬局、雑貨店etcと既に多くの企業にアポイントメントを取っていました。商品が到着したらすぐに、サンプルを持参し商談できるように!
準備万端!
可愛い、素晴らしい糖質制限食品・お菓子達を、温度管理された倉庫に迎え入れ、裏面表示のシールを貼り、待ちに待った営業・商談へ!!!!!
商談する各企業の担当者(バイヤー)の方々。
糖質カット商品を試食して頂きながら市場ニーズについて説明し、糖質制限の説明をする。
『糖質カットでも、美味しいですね!』
『へぇ~。アメリカでは、このような商品が販売されているんだ!』
と、とても興味を持ってくれます。
が、、、、、、、
『でも、、、糖質カットのお菓子をわざわざ購入される人っていないと思うよ』
『糖質カット商品が身体に良いのは分かるけど、、、、この商品を棚に置いて販売したら、他の一般の商品すべて、身体に良くないって否定することになるから販売出来ないよ』
『糖尿病の方用のお菓子って、日本では定着しないよ』
『低炭水化物食事療法?糖質制限??理解する人いないでしょう?』
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(ため息)、、、、、、、、、、、、、、
ほとんどのバイヤーさんは、糖質制限食品・お菓子の市場ニーズを理解してくれず、
ことごとく、商品は否定され、受け入れられず、取り扱ってもらえず、、、
営業は、ただ話に行っただけの状態でした。
これが、半年ぐらい続いたかな?!?!?
今振り返れば、この時期が一番苦しい、辛い時期だったと思います。
どれだけ良い商品でも、
どれだけアメリカでは当たり前に販売されている商品でも、
『食べたくても食べられない人』が食べて頂ける素晴らしい商品でも、
企業や店舗が望む商品は、これらの商品では無く、
『売れる商品』であることが全て!
大手企業なら、新たな商品の販売には、大きなイベントを行い、芸能人を起用して、TVCMをして、いろいろな番組や雑誌で宣伝することが出来るでしょう。
中小企業と大手企業の大きな違い、壁、資金額の違いを改めて実感していました。
どうしたら良いのか?どうしたら??????
考えていても時間はただ過ぎていくだけ。
答えが分からなくても、今の私には、営業あるのみ。
そんな時、ある転機が訪れました。
京都の高級スーパーの『フレンズフード』様(当時、京都右京区にあったお店)のバイヤーさんが、商品を気に入って下さり、市場ニーズも絶対にあるはず!と糖質カットのチョコレートを店頭で販売して下さることになりました。
少しずつ、少しずつ広まっていく糖質カットのお菓子類。
ある日、それは突然に起こりました。まるで奇跡とでもいうように!
日本で『糖質制限』を広めた第一人者であり、私がとても尊敬している江部康二先生。
当時は、江部先生も、『糖質制限』を広め始めた頃でした。
その江部先生から直接、電話を頂いたのです。!!!!!!
『御社が輸入・販売している砂糖不使用のチョコレートを購入しました。血糖値もそれほど上がらず、何より、美味しい! 私のブログで紹介してもよろしいでしょうか?』と。
京都高雄病院の理事長である江部先生。
病院は、京都右京区・・・・・ひょっとして、フレンズフード様で購入されたのか??
本当に、嬉しかった。
日本にも、糖質制限を理解して下さり、これらの食品・お菓子の素晴らしさ、必要性を理解して下さる方が居ることに感激したのを鮮明に覚えています。
しかも、日本の糖尿病の専門医であるお医者様が。
江部康二先生は、自らが2型の糖尿病患者であり、自ら糖質制限を長年実施され・・・
いわゆる、自分の御身をもって長きに渡り臨床試験をされて、糖尿病を研究され、調べられ、
糖質制限の安全性、身体のメカニズムを解き明かされました。
日本に糖質制限を定着させ、広められた、本当の第一人者です。
私は、糖質制限食品・お菓子を日本に持ち込み、市場を開拓してきた者。
ここで、江部康二先生に出会うことが出来て、本当に、本当にお世話になって今があります。
このころから、糖質制限がTVや雑誌などで取り上げられ始めました。
先生が日本にいらっしゃらなかったら・・・・・・
糖質制限が日本に定着するのは、10年は遅れていたでしょう。
糖質制限は、『低炭水化物食事療法』が正式な名前です。
この食事療法は、昔から存在しています。
ですが、何故か? 日本では定着しなかったのです。
それを、日本で定着するように、日本人が分かりやすいように、『糖質制限』と名付けられたのは、江部先生なんです。
この『糖質制限』を商標登録しようとされましたが、「糖質」も「制限」も一般に広く使われる言葉であるために、商標登録できなかったそうです。
しかし、先生は、商標登録よりも、もっともっと多くの方がこの『糖質制限』を知りるなら、広まるなら、誰が使っても構わないととても寛大でした。
今の日本の糖質制限の市場は、私1人では何も開拓できなかったと思います。
ちょうど、私がアメリカから糖質制限食品・お菓子を持ち込んだタイミングが、
江部先生が糖質制限を広めるタイミングと偶然にも一緒だったことにより、
市場が開けていくことが出来たのだと思います。
人生の中での1つ1つの出会いって、本当に素晴らしいです。
ほとんどは、出会ったとしても、ただ道ですれ違うだけ・・・・
その中で点と点が重なって線となり動き出すように出会いはあるのですよね。
あの時の点と点が重なって線となり、面となり、、、、、
今では、6000億円の市場になりました。
人生は、何があるか分からない!!!