第655話 大 塚 乱 歩

     

~ 願うものではなく つくるもの ~

  「コロコロ、コロコロ」と世間が騒ぎ始めたころは桜が開花するころだった。
   それから路地のあちこちに躑躅や薔薇が咲いて、紫陽花が梅雨に濡れ、そして庭の朝顔が朝日とともに開くころになっても、まだコロナ騒ぎは埒があかず。とうとう半年も経ってしまった。
    躑躅が咲いてる時季だった。その花弁を見て気づいたことがある。たまに下手な絵を描くことがある私は、気になるモノをジッと観る癖があるからである。
  そんなわけで躑躅の花弁を注視してみると、写真のように一枚だけ花弁に彪柄が付いている。しかしも花芯はみんなそちら向かっているのである。
  帰ってから調べてみると、彪柄は「虫さん、ここに蜜があるよ」と知らせるためらしい。しかも花弁も協力して同じ方向に向いてくれているというのだ。何と自然の偉大さよ!と感心してしまつた。

 今夏も猛暑が続いている。街の道路はアスファルトでできているから、天気予報の温度より数度酷暑である。なにせ太陽より、下からの熱で気分が悪くなるくらいだ。人間にたとえれば明らかに地球が高熱患者なのだ。
   そんな中、路地で猫が寝そべっていた。よく見るとその手前に猫じゃらしが生えている。「猫と猫じゃらし」なんていう、ダジャレなんかより、猫は暑さにヤル気を失っているのだった!

 近くにある大塚公園は昔の武家屋敷跡だから、広くて立派である。都の管理になってから噴水もできた。その噴水で烏が水浴びをしている。「烏の行水」というだけあってサッと終わった。この酷暑で烏も「焼き鳥になっては、タマラン!」と水浴びしたかったのだろう!

 公園は蝉が激しい雨のように泣いている。本当は鳴いていると書くべきだが、あの必死な声はやはり号泣としか思えない。足元には蝉の抜殻が落ちている。うっかりすれば、踏み潰してしまいそうだ。
   抜け殻は、コロナから、酷暑から、集中豪雨から、国や国民を守ろうとしない日本の政府はじめ政治家のようだ。これではうっかりすれば日本は踏み潰されかねない。

 家の庭には葡萄が小さな実をつけている。秋になれば、もつと秋色の葡萄に染まるだろう。小さくて、種の多い葡萄だけれどけっこう甘味がある。

 足元には、百両・千両・万両の実がなっている。せめて植物ぐらいでお金持ちの気分を味わおうなんて思ったわけではないが、いつの間にか百千万が揃っていた。秋になればいつものように実が赤くなるだろう。そしていつものように赤い実が大好きな鳥たちに見事に食べられてしまう。

 こうして時や季節は巡るけれど、そのころにはCOVID--19も収束して、異常な生活から普通の生活に戻りたいものだ。そして来年は豪雨がこないように、また夏の暑さもおさまってほしい。
   テレビを点けると、吉永小百合さんが「平和は願うものではなく、わたしたちがつくるもの」と言っていた。大切なことだ。
   未来は自分たちがつくらなければならないということだろう。

文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる