第670話 乱世です!白居易先生
『世界蕎麦文学全集』物語12
☆白居易「村夜」
『世界蕎麦文学全集』と題しながら、理屈っぽい話が続いた。そこで今回は、私が世界初の蕎麦文学と位置づけしているものをご紹介しよう。
といっても、蕎麦通の方なら皆さんご存知の白居易の「村夜」である。
霜草蒼蒼蟲切切
村南村北行人絶
獨出門前望野田
月明蕎麥花如雪
この詩は、幼い愛娘の金鑾子(キンランシ)を病で亡くしたばかりの白居易が、続いて実母を亡くし、喪に服するために故郷の陝西省渭南市北に帰ったときに作った傷心の詩である。
~ある夜、居易が家の外に出てみると、霜に打たれて生気を失った枯草の茂みで虫がしきりに鳴いていた。村の南北の道行く人の姿はすっかり途絶えている。独り門前に出て、畠を眺めると月かりの下で蕎麦の白い花が一面雪のように咲いている。~
私は今「畠」という字で書いたが、「畠」は日本で生まれた漢字だから、中国の詩にこれは当てはまらないと思う。しかし「白い田」というのはいかにも蕎麦に似合う畠だから、この字を使った。
その蕎麦の起原地というのは約4000年前の雲南省・四川省だが、一帯は少数民族の地であった。それが今から2000年前の陝西省咸陽市の遺跡から蕎麦の実が出土した。だから陝西省の蕎麦栽培は中唐時代(766~835)当時でも1000年ちかくの実績があるということになる。陝西省という所は秦の都(咸陽)、前漢・隋・唐の都(長安)があった地域だから、この中原に漢民族が差別していた異民族の穀物が入ってきていたということは、蕎麦史からいえば注目すべきことである。そんな蕎麦畠を白居易は眺めていたと想像してほしい。なお陝西省は現代でも蕎麦の有数な生産地である。
さて、白居易は中唐屈指の詩人であるが、官僚としても出世し、最後は今でいう法務大臣になっている。
彼は、知識人は天下国家に責任があるという強い意識と、文学は政治の欠陥を補い正すのが使命だと考えていたというから、たいへん偉い人だと思う。
じゃ偉い人って何だと問われれば、たとえば偉大な人物というのはたいがい悪党ばかりである(歴史家・アクトン)と言われたり、偉大さとはその人の業績の善悪で決まる(伝記作家・レズリー・スティーブン)と言ったりする。しかし善悪は誰が決めるんだという話にもなる。
その点、667話の夏目漱石といい、この白居易といい文学者に偉大な人物が多いのは、白が言うように、文学が政治の欠陥を補い正すところにあるからだと思うと文学の力は大きい。
☆誠意
話を現代に移せば、ワシントン・ポスト紙の集計によるとアメリカのトランプ大統領は就任以来2万回以上の嘘を吐き、まだまだ更新中だとのこと。
また日本の安倍前総理は「丁寧に説明する」「国民に寄り添って」「しっかり国民と向き合って」という三つの台詞が得意であった。ある評論家は「口先だけの総理」と批判していたが、そんなころビックサイトで某催事があって、あるセミナーが開かれた。そのとき、某メーカーの社長さんが「私どもの会社は消費者に寄り添って」「商品を丁寧にご説明・・・」と講演されていたので、「都合のいい言葉は感染するもんだ」と思ったものだった。またまた菅首相は官房長官時代に「ご批判はまったく当たりません」「まったく問題ありません」と突っ張ねるのが得意であった。仮に理由を重ねて質問しても「今申上げたようにご批判はまったく当たりません」と切って捨てる記者会見を繰り返してきた。いったい何のための記者会見だろうと疑問をもったが、メディもまた何も批判せず「官房長官の記者会見」ニュースとしてそのまま報道していたから、情けないものだ。
要するに、現在は政治家も企業家もメディアもネットもメールも電話も、ウソの情報が当たり前のように流れる世の中になっている。だから何が真実で何がウソかの境界のない時代になっているらしい。諺で「本当のものが分らないと、本当でないものを本当にする」と昔らいわれているが、発言者も聴衆者もそのようであれば質の低下ということになる。
どうしてこんな世の中になったのだろうか、原因はいろいろ考えられるが、それをここで述べたらキリがない。ただ今はそれらとアメリカ文明・ヨーロツパ文明・アジア文明・中東文明などが糸のように絡まった乱世だから、お手上げということは言えそうだ。
だから近ごろは「元に戻って考え直そうよ」というわけで、前にも書いたように哲学に目が向けられたり、白井聡が「資本論」の読み直しをやったり(『武器としての「資本論」』)、安宅和人は教育とくに国語教育の大切さを説いたり(『シン・ニホン』)、ネイサン・シュナイダーは古い協同組合に注目したり(『ネクスト・シェア』)する動きが見られる。白居易の文学論もその原点を考えることの一つだと私は思うが・・・。
『世界蕎麦文学全集』
35.白居易「村夜」
文 江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる