健康ニュース 2月1日号 節分と豆まきの雑学
節分と豆まきについて
今年のように2月2日が節分になるのは1897年来のことだそうです。
正確に言うと「立春の前日の節分」と書かなくてはなりません。なぜなら立夏、立秋、立冬の前日も節分というからです。
立春の前日の節分(以下節分と書く)は、全国各地で豆まきが行われています。この豆まきについて色々と掘り下げ調べてみました。
豆まきは家内安全と健康を願っての行事であり、炒った大豆を使い、鬼を目がけて「鬼は外!」と豆を投げつけることは誰でも知っていることでしょう。
ここでの鬼は魔物・悪魔の代表ですが、なぜお化けや物の怪でなく鬼なのでしょうか?
「魔」という漢字をよくご覧いただくと、昔の人が悪魔の代表に鬼を選んだことが理解できないでしょうか?
次の疑問です。悪魔になぜ石ころでなく豆を投げつけるのでしょうか?
悪魔の目(魔の目・・魔の芽・・マメ=豆)を目掛けて、目が見えないようにしようとしたのですね。(大胆な推測ですが・・・)そこには生の大豆でなく炒った大豆を使った根拠も覗えます。
節分に、豆まきが始まった時期は、諸説ありますが室町時代という説が有力です。
50年ほど前までは、田舎の家ではご飯を炊くかまどが土間にありました。生の豆をまくと、たとえ1粒でも土間に残ると新しい芽が出ます。それは「魔の目が出る」ということになり忌み嫌ったわけです。そこで土間に落ちても芽が出ないように、炒った豆を使ったわけですね。
また豆を炒ることは、悪魔の目を射ることにも通じ、悪魔の目が見えないようにして我が家に入って来ないで!という昔の人々の願いでもあったわけです。
昔から人々が食べてきた豆にはいくつも種類があります。親しまれている小豆とか黒豆とか、思いつくだけでも数種類以上はあるはずです。
節分に豆まきが定着した時代は、飽食の現在とは食事情が異なっていたことは誰でも理解できます。
鬼を目がけて生の豆をまき、その後拾って食べるとどうなるでしょうか?
間違いなく食中りが生じます。
食中りを防ぐには豆を煮なくてはなりません。煮た豆を鬼に投げても痛くありませんし、投げ終わった後はぐちゃぐちゃとなり拾い食べることはできません。煮ないで炒っただけで食べることが可能な豆は、大豆しかありません。
土間に落ちても、庭に落ちても息を軽く吹きかけ汚れを落とし口にできるのは炒った大豆だけなのです。
少しの食料も無駄にしたくなかった昔の人の素晴らしい知恵が見えるのではないでしょうか。
豆まきの豆を歳の数だけ拾って食べよう!という言い伝えも広く知られています。
食べ物の絶対量が不足していた時代、節分という寒い時期に、お年寄りのたんぱく質不足はどういう結果を招くのでしょうか。
最近では、栄養指導の先生から「たんぱく質を摂らないとフレイルになりますよ!」とアドバイスがあります。大豆は畑のお肉というほどたんぱく質が豊富です。栄養についてもさほど理解されていなかった時代、先人の知恵にはただ驚くのみです。「節分と豆まき」からでも多くのことを学べます。年間行事をもっと理解したいと思いませんか!