第715話 日本の中の朝鮮文化

      2021/06/29  


 韓国(慶尚南道)生まれで日本育ちの作家に金達寿(1917~1997)という人がいました。彼は学生時代に志賀直哉(1883~1971)に魅かれて小説に関心をもち、また李孝石(1907~42)の短篇小説『蕎麦の花の頃』などを読んで〝故国〟に開眼したといいます。そして小説を書き始め、途中で神奈川新聞や京城日報の記者にもなりましたが、作家としては『玄界灘』や『朴達の裁判』などの優れた作品を書いて芥川賞の候補にもなりました。ただ賞を逸したのは、そのときにはもう新人という立場ではなかったかららしいですが、それゆえに第二次大戦後の「在日朝鮮文学」という分野を切り拓いた人だといわれています。
   その「在日」ということの延長からでしょうか、50歳代から古代史に重心を移し、自分の足で日本全土の遺跡を歩いて〝朝鮮〟を発見し、それを『日本の中の朝鮮文化』全12巻として発表しました。
  それを読みますと、「あれも朝鮮語、これも朝鮮語」のオンパレードです。たとえば高麗神社(埼玉県)のある「新堀」というのは「新しい堀」という意味ではなく、朝鮮語の「都=ブル」からとか、日暮里(東京都)もそうだ、等々がこれでもか、これでもかと述べられているのです。そのエネルギーは凄いものです。最初は「えっ!えっ?」と思いながら読んでいましたが、終わったら「そうだったのか。日本列島は古代朝鮮人によって開拓されたのか」と思ってしまうほどです。しかしこの切り口が、皇国史観を拭い切れなかった古代史学会に大きな影響を与えました。こうして韓国生まれで日本育ちの金達寿は古代史界に新鮮な風を送ったことになりました。
  この金達寿の仕事のきっかけは『思想の科学』の連載でした。「朝鮮遺跡の旅」として1970年から取材執筆が始まりましたが、私たちソバリエが関心をもつ深大寺には1970年(昭和45年)の3月と4月に訪れています。もっとも彼は調布市つつじケ丘に居を構えていましたから、この場合は旅というほどでもなかったでしょうが、とにかくその結果は『日本の中の朝鮮文化 1 相模・武蔵・上野・下野ほか』として刊行されました。

  そこで、そもそも論としての『深大寺縁起』の話になりますが、『縁起』は深大寺を草創した満功上人が主役の絵巻物であることはいうまでもありません。もちろん上人の父である福満と、福満の妻両親である佐須村の温井右近(上人の祖父)と(上人の祖母)も登場します。祖父母の温井氏は前は佐須氏ともいっていました。「温井」(温泉地の意味)という地名は朝鮮各地にはありますし、「佐須」というのは朝鮮歴史辞典を捲ってみますと、似た朝鮮語として「座首」(地方長官)がありますので、それが訛ったのでしょうか、また日本にはいなくて朝鮮に棲息する「虎」が祖母(または母とも)の名前だということをふくめますと、いかにも朝鮮渡来人らしいと思えてきます。またゆかりの虎狛神社(調布市佐須)や虎柏山祇園寺(調布市佐須)の存在と伝説から佐須村の温井氏の存在は明らかでした。しかし満功上人の父福満というのは何者かがはっきりしていません。それを金達寿は満功上人の実父福満は現在の金子厳島神社(調布市つづケ丘1-15-8:現つつじケ丘を前は金子村といった)一帯に棲んでいた埼玉県高麗郡の金子氏族と同系の新渡来人ではないかと推定しました。つまり深大寺伝説は旧渡来人(佐須の温井氏族)と新渡来人(金子氏族)の〝縁結び〟の物語だというのです。
  そして、その思いを《深大寺蕎麦》に結びつけます。
   つまり「朝鮮では昔から縁結び、すなわち結婚式などには末永くあれということで、必ずと言っていいくらい蕎麦が用いられる。長いものは長寿を表すとされ、結婚式や満一歳の誕生日には必ず麺を食べます。」と述べています。
 なので、私も韓国を訪れたとき、韓国の知人に尋ねてみました。すると、
 「韓国人は麺が大好きです。もちろんその中に蕎麦もあります。普段から昼食や夜食は麺で済ませることも多いですし、長いものは長寿を表すとされていますから、結婚式や満一歳の誕生日には必ず麺を食べます。」
  「特に結婚式の日には必ず麺でもてなしましたが、新郎新婦の縁が末永く続きれることを祈願する意味を込めており、昔は結婚式に行くことを“麺を食べに行く”と言うぐらいでした。」
 そして、「韓国の麺には押出し式と庖丁切り式の2種類の麺がありますが、それが韓国定番麺の《冷麺》と《カルグクス》です。昔は蕎麦が穫れる北では押出し式の《冷麺》、小麦が穫れる南では切り麺の《カルグクス》が主だったそうですが、今ではどの町でも両方食べることができます」
  これを聞いて、私たちが「細く長くあれ」と言いながら食べる《年越蕎麦》も、朝鮮の「長いものは長寿」に由来するのかと思った次第です。日本の中の朝鮮文化は深いですね。

参考:『日本の中の朝鮮文化 1 相模・武蔵・上野・下野ほか』(講談社)

〔深大寺そば学院學監・江戸ソバリエ認定委員長  ほし☆ひかる〕