第731話 深沙大王の里

      2021/08/22  

 現在の深大寺は白鳳仏の里として知られていますが、江戸時代までの深大寺は深沙大王の里でした。その深沙大王は秘仏です。ですからほとんどの人がその姿を見たことがありません。そうではありますが、1987年の『深大寺学術調査報告書〔第1冊分〕』など研究誌には写真が掲載されています。東海大学の藤澤隆子・加藤香織の報告によりますと、「像高 57.2㎝の檜の寄木造り、髪は総髪、目を大きく見開き、口を開いて忿怒の相を表す。上半身裸体、襟に領巾を巻き、その上に髑髏の瓔珞をつけ、肩から天衣を掛け、象頭をもつ膝丈の袴を穿き、そのうえに短い腰布を纏って、腹前で腰紐を結んでいる。右腕は屈臂して、掌を下方に向け、全指を軽く曲げて、左腕は臂を伸ばし両手首に腕釧をつけている。足は左足を前に踏み出し、両足に足釧をつけている」そうです。一言で言えば恐ろしい姿です。制作は鎌倉時代1267年ごろの像だということですが、創建当時のもともとの像はどうだったのでしょうか。 
 今回は明治時代の作家泉鏡花(1873~1939)がこの深沙大王をとり上げて戯曲を書いた話をご紹介します。鏡花は本郷座(本郷3丁目)での新派合同劇のために、初めて戯曲を書き下ろしました。それが『深沙大王』というわけです。物語はこうです。

  ~ 元は名主で今は貧乏暮らしの松三郎、その許嫁だったお俊は、今は権力と金に強欲な傳助の妾になっています。
  舞台は越前の水鶏の里、村の奥の松林は湿地帯。そこには神仏混交の朽ちた社が建っています。言い伝えでは、災いを招く恐ろしい荒神の深沙大王様が祀られているということです。そのことを調べていた記者の小山田が「何を祀ってあるのですか」と村人に尋ねますと、村人は「大きな蛇だ」と答えました。小山田は「なるほど。神蛇 ジンジャが深沙ジンジャ大王の正体なんだな」と理解しました。
  そこへ金に物をいわせて骨董などにも興味をもっている傳助が社の物色に来ますが、大王の眷属(配下)によって追い払われます。
  また傳助はお俊の身体は奪っても、お俊と松三郎が今もって心で結ばれているのが腹立たしくてしかたありません。そのお俊と松三郎はこの世で結ばれないのなら、と心中しようとします。そんな二人を傳助は捉えます。
  この騒動に小山田も巻き込まれてしまいました。そこで小山田は助けを乞います。「深沙大王、深沙大王。深沙の社の禿佛、手並みを見せずやッ!」と叫びますと、宇宙に数百の声が一斉に「オウ!!」と、風の如く、水の如く、波の如く、もの凄く陰に籠って四方に響きます。
  トタンに傳助は「水だ、洪水だ・・・」と狂ったように叫んで、座敷へドンと躍り上がります。そのうちに泳ぐ手つきまで・・・。しかし全ては深沙大王が操る幻影でした。
  小山田は「強欲の心を撓めぬか。眼を開け、影も形もこぼれた水もないぞ」と言い放ち、松三郎とお俊を助けました。~

 
この『深沙大王』が本郷座で上演されるにあたって、絵看板が制作されました。描いたのは鏑木清方(1878~1972)です。このことを清方は自著の『こしかたの記』に、藤沢浅次郎と河合武雄が『深沙大王』を上演するにあたり、藤沢から頼まれて表看板を描いたが、芝居にままある演目の変更から、新たに『高野聖』の絵看板を描くことになった(明治37年)。ついては『深沙大王』は会場内に並べるだけとなった、と書き残しています。
 いま、清方の『深沙大王』の絵は、鎌倉の鏑木清方美術館にあります。松三郎とお俊の二人が心中しようとして重い足取りで歩いている姿です。画面上には深沙大王の社を住処としている妖怪も蠢いています。
  鏡花の『深沙大王』の物語は幻魔界と現実が入り交じってはいますが、妖怪すらも一緒になって弱い者に手助けするという勧善懲悪の話です。ですから多感な子供たちには観てもらいたい内容です。
 いま人気の細田守監督(1967~)のアニメに『おおかみこどもの雨と雪』という作品があります。狼に恋した女子大生が女児の〝雪〟と男児の〝雨〟を生んで育てます。二人の子は人間だったり時に狼になったりします。それが子供たちにとっては悩みです。しかし母は「人間として精一杯生きるか、狼としてと堂々と生きるか、あなたたち自身で決めなさい」と教えます。そこには人間を越えた生き物への愛があります。こうした境界を越えた愛は人間だけが描くことの能力かと思います。
  鏡花の『深沙大王』は本郷座では上演されませんでしたが、後の大正3年4月に明治座で上演されました。しかし『深沙大王』は深大寺で上演されてこその作品だと思います。いつの日か実現できればいいですね。

追記

 このシリーズに登場する人たちは皆、深大寺に関心をもった理由がはっきりしていますが、ただ三島由紀夫だけがなぜ深大寺に興味をいだいたかが小生は理解できないでいました。
 そこへ読者の方から、日経新聞の春秋の欄に三島由紀夫のことが書いてありますよ、とのメールを頂きました。その記事には三島由紀夫の『小説とは何か』が紹介されていましたので、さっそく目を通してみました。
  すると、三島は稲垣足穂や国枝史郎の作品を引用しながら「妖怪小説こそ文学だ」みたいなことを述べているではありませんか。
  そうだったのです。三島由紀夫は何よりも妖怪深沙大王に興味をもって深大寺を訪れたのです。

参考
泉鏡花『深沙大王』
三島由紀夫の『小説とは何か』

『ものがたり深大寺蕎麦』シリーズ
  ・731深沙大王の里
  ・727ねじれ花
  ・724話 鳩笛
  ・721話 謎の武蔵国司の乱?
  ・720話 深大寺白鳳仏はどこから?
  ・718話 白鳳仏 千年の目覚め
  ・717話 青春の白鳳仏
  ・716話 二重の異邦人
  ・715話 日本の中の朝鮮文化

〔文 深大寺そば学院學監 ほし☆ひかる〕
絵葉書「深沙大王」(鏑木清方美術館)