第757話 ヴァルテッリーナのピッツオケリⅠ

      2021/12/14  

☆ヴァルテッリーナ
   ソバリエ仲間の宮本学さんはいつも素早いプロデューサーぶりを、また田口清美さんは優れたシェフぶりを発揮してくれる人だが、この度はイタリア北部・ロンバルディアの郷土料理《ピッツオケリ》(蕎麦パスタ)の勉強会をお二人が中心になって催してくれた。
  この企画のきっかけは、宮本さんのドイツ住の知人長谷川友美さまが、ロンバルディア・ヴァリテリーナに伝わる二八蕎麦の《ピッツオケリ》の正式レシピと食材を宮本さんにお送りくださったことから行われ、当日はドイツから長谷川さまもzoomでご出演いただいた。
   イタリア北部といえば、私の認識ではチーズは牛乳製、中部南部では羊乳製、さらにロンバルディアは青カビ・タイプのゴルゴンゾーラや、ウォッシュ・タイプのタレッショを知っているくらい。
   そしてヴァルテッリーナ(北緯46度)についても、イタリア商工会議所主催の《ピッツオケリ》試作会や、小説『いいなずけ』を読んだりしていて耳にしていただけで、「うちの婿さんの故郷稚内(北緯45度)より少し北か!」ぐらいしか想像していなかった。
   それがこの度長谷川さまがzoomで写真を見せていただいたりしてもらったおかげで、ずいぶん理解できた。
   何よりも、感心したことは、ピッツオケリ保存協会(ティーリオ;ホテルコンボロ内)というのがあることだった。
 【家庭料理、郷土料理】が【世界料理】に成長していくためには現地の人たちに合うように変化してゆくことに寛容でなければならないが、その一方では伝統を守っていくシステムが欠かせない。それをピッツオケリ保存協会が担っているという。
  われわれは日本伝統の江戸蕎麦に関心をもっているが、そのためにも外国の蕎麦は興味深いし、何よりも海外の食の不易流行を知ることは楽しい。

☆ヨーロツパの蕎麦
   栽培蕎麦がアルプス山麓に花を咲かせたのは16世紀ごろらしい。そもそもが蕎麦栽培を始めたのは、約5000年前中国雲南・四川省一帯の民族だとされている。それが4000年前には世界各地への伝播を開始し、日本列島には3500年前ごろ到着しているが、ヨーロッパ大陸には約2000年前ごろ先ず東欧→中欧→西欧と伝わったようだ。続いて第二波は逆に西欧→中欧→東欧への伝来があったとされていて、いまでは欧州大陸のほぼ全土で蕎麦栽培が行われている。
 スロベニアの蕎麦博士イワン・クレフト先生(江戸ソバリエ講師)の話によれば、考古学上は、ロシアでは紀元1世紀の蕎麦穀粒が出土している。ウクライナでは紀元1~2世紀ごろには蕎麦があったらしい。そしてチェコとスロバキアは12~13世紀ごろ、スロヴェニアは15世紀半ば、オーストリアも15世紀半ば、イタリア北部もそのあたりだろう。フランスは17世紀初頭に見られるらしい。ただ厳しくいえば、一例の出土で断言できるかということも頭に入れておかなければならない。
 こうした歴史をふまえて、ヨーロッパ各国の言葉に詳しい米原万里はロシア語で蕎麦は「グレチーハ」=ギリシャ女だからギリシャ経由、チェコ語では蕎麦は「ポハンカ」=汗ハンだから蒙古民族の影響から、フランス・イタリア語の「サラセン」は中世に十字軍がイスラム圏へ遠征したとき持ち帰ったからと推定しているが、唐産ではない辛子を「唐辛子」と呼ぶくらいだから、言葉だけを追っていると俗説に陥ることもあるから気をつけないといけない。

☆パスタ
  イタリアのパスタは謎が多いから、われわれソバリエには興味津々の的である。なぜなら東アジアでは麺発祥の中国を中心に各国が様々に麺を発展させて、ひっくるめて麺文化圏を形成している。というのに、ヨーロッパではイタリア一国が麺王国だからである。もちろん現在、パスタは世界中に広まった【世界料理】であることはいうまでもないが、なぜイタリアだけが麺(北の《生パスタ》、南の《乾燥パスタ》)だったのか? そしてパスタ自国誕生説や伝来説がからんでいてなかなか面白い。 
  しかし、この謎を考える場合、北の《生パスタ》も、南の《乾燥パスタ》も一括して考えがちであるが、北の《生パスタ(軟質小麦)》と、南の《乾燥パスタ(硬質小麦)》は分けて考えた方がいいと思う。なぜならイタリア史から見ても、北と南は古代ローマ帝国後はまったく異なる歴史を辿っているし、また環境も違うからである。
   そのうちの《生パスタ》は中世の11~12世紀誕生、《乾燥パスタ》はそれより少し遅れてシチリアのパレルモでできたとされている。 
  筆者の見方では、《生パスタ》はたぶん自国で誕生したのだろう。その鍵は、ローマ時代の《古ラザーニャ》(現在のラゾーニャとは違うけれど似たようなもの)の存在である。生パスタの材料は、ご承知のようにパンと同様に軟質小麦である。パンは粉を練って焼くが、練って茹でる方向へ向かったのが《生パスタ》であろうと私は想像している。その微妙な位置にあるものが《ラザーニャ》だろう。現在、この《ラザーニャ》はパスタの仲間に入っているが、パスタの認識がなかった《古ラザーニャ》はパンの変わり物だったかもしれない。
   一方の《乾燥パスタ》は歴史上、外来の影響による発明の可能性が強い。なぜなら南イタリアは9~11世紀にはアラブ人に支配され、12世紀からはノルマン人に支配されている。
   世界では麺は今から4000年前、中国の青海省辺りに住む民族が粟黍麺を創ったのが考古学上、最初だとされているが、4000年前だから民族を特定するのも困難である。
  いずれにしろ、そうした異国の麺文化に接触した南イタリアのシチリア人は、それを自分の物にしたのである。なぜなら物事、とくに〝事〟というのは、持ち込んで、使えるように環境を整え(インストール)なければならない。それができるのは〝自国人〟であって外国人では難しい。これが文化定着の原則である。だから《乾燥パスタ》の影響を受け入れて、自国人が発明したということになる。
 と、一応の推論を試みたが、日本の蕎麦史でさえままならぬというのに、他国者が他国の麺文化を勝手に語る資格はないのかもしれない。

ピッツオケリ》
   さて、ヴァルテッリーナの《ピッツオケリ》であるが、以上のことから蕎麦栽培がなされた16世紀以降に村人の手によって創作されたのであろう。
   それを今日、長谷川さんの情報によって試作してみようというわけだ。麺打ちは一ノ瀬さんと鈴木さん、料理は田口さんと菊地さん、映像関係は宮本さんと高橋さん、それに石田さんと稲沢さんと私が参加。皆さんの、蕎麦や料理の技術はプロ並みだ。
 試作の詳細は宮本・高橋さんが近々映像でご披露されることになっているが、私が気づくことは、バターやチーズなどの油脂物が多く使用されるのは、やはり稚内並の寒い地方だからだろうということだった。

 ともあれ、完成した《ピッツオケリ》を頂こう♬♬

追記

 長谷川さま+宮本さんのご縁でこの会に参加できて、とても楽しかったです。お礼申し上げます。

《参考》
ほしひかる筆『蕎麦談義』680話「アルプス山麓ヴァルテッリーナのポレンタ」
第680話 アルプス山麓ヴァルテッリーナのポレンタ - ほしひかるの蕎麦談義 - フードボイス (fv1.jp)
ほしひかる筆『蕎麦談義』452話「田舎料理《ピッツオケリ》」
https://fv1.jp/53053/
ほしひかる筆『蕎麦談義』281話「パスタ小史2」
第281話 パスタ小史-2 - ほしひかるの蕎麦談義 - フードボイス (fv1.jp)

〔江戸ソバリエ & チーズ・オブ・コムラード ほし☆ひかる〕