第764話 お一人様のカウンター

      2022/01/05  

☆ZOOM de SOBA TIME
 今日は新宿区で蕎麦の話をZOOMですることになっている。
  区の撮影現場に向かうために新宿駅で都営地下鉄に乗り換えた。いつものように「コロナ対策としてリモートワークにご協力ください」という国交省からのお願いアナウンスが構内に流れていた。
 現場に着いてパソコンの前に座る。参加視聴者の八割は女性らしい。視聴者と講座の担当の女性とはもう顔見知りのようであった。やはり女性のコミュニケーション力は強いなと感心する。この女性のコミュニケーションの輪に男たちはなかなか入れないことが世間には多い。だから男性の会合参加率は低い。ただソバリエの仲間はうまくいっている。それは男性女性という目で見ないで、人間として付き合えばうまくいくということだと思う。李琴峰の『彼岸花の咲く島』がそういう小説だった。
  マ、それはともかく、無事に話が済んだ後、質問ないし感想が2つあった。
  ①ラーメンは世界的に人気、蕎麦もそうなってほしい、と。
  ②寺社の門前に蕎麦屋があるのはなぜか?
  ①は重要な問題だ。
   「蕎麦界が一団となって」とか、「私たち一人ひとりが自覚して」解決していくしかない、なんていうのは答えでもなんでもなく、「よろしくお願いします」という挨拶言葉にしかすぎないので、ここでは「油脂味の食べ物はやみつきになりますからね」とだけ申し上げるにとどめた。
  ②は、江戸ソバリエが得意とする分野だが、一応掻い摘んでお答えした。

  帰り際、担当者の方から話の続編の依頼があった。
  理由は、食べ物の話はリモート講座より、対面でという要望があったからだという。都からは講座はできるだけリモートでと指示されているが、人数を制限して実施したいとのこと。
  食べ物は舌で学ぶのが基本だと思っている私に異存はなかったので、次回開催が決まった。

☆お一人様のカウンター
  新宿駅へ戻って来た。講座は昼の時間だったので、13時をとうに過ぎていた。さて昼食をとらなければと店を探した。新宿駅前の蕎麦屋は先日行ったばかりだ、と思いながら駅地下街の食べ物屋を物色していると、何だかマンガ『孤独のグルメ』の井之頭五郎みたいな気分になってきた。
  寿司屋があった。見るともなく見てみると、皆さん立って食べている。店の名前はよく目にするチェーン寿司店の名前だ。蕎麦屋のチェーン店はいただけないが、寿司のチェーン店は、ネタが新鮮だから、まあまあイケルということと、最近あることに関心をもっているため、暖簾をくぐった。
  関心事というのはカウンターの奥行の長さだ。 
 大塚「岩舟」、日本橋「蕎の字」、日本橋「かねこ」のカウンター席に座ってから、「都会の蕎麦屋のシャレたカウンターもなかなかいいじゃないか」と思うようになり、あちこちのカウンターに座ってみるようになった。
  これまで訪ねた天麩羅屋のカウンターの奥行は約36㎝、今日の寿司屋は指で測ってみるとわずか約27㎝。これで対面する職人さんに注文しながら立って食べる。おかげで寿司屋は屋台から始まったという時代雰囲気を味わうことができた。
  食事が済んでから、地下街を歩いているとコンビニやコーヒーや牛丼屋があった。それを横目で見ながら通り過ぎたが、いずれも壁が相手の孤独のカウンターばかりだった。
  なぜ、カウンターのことをクドクド書いているかというと、実は理由がある。
  数日前に、銀座の蕎麦屋「流石」に行ったら、テーブル席が満員だったので奥のカウンター席に座った。すると驚いた。今まで「流石」のカウンターの奥行まで気にしていなかったが、どうみても約50㎝はある。
 《鴨せいろ》を頂きながら、 目の前で相手をしてくれた藤田千秋社長に「都会はカウンター席が似合うようね」なんて話をしたら、「そうよ、分かってくれて嬉しいわ。私が20年前にこれにしたら、蕎麦通の人から叱られたのよ。『屋台じゃあるめーし、みっともない』って」。   
  専門家とか、通というのは、言うことは正しいが、変化を認めないところがある。しかしながら不易流行が世の定理。芭蕉が京の落柿舎で弟子たちに言った「硬からず柔らかすぎず」は麺の腰ばかりではない。脳のことも言っているのだろう。
   「これ立派だよ。ずいぶんしたんじゃない?」と私が訊くと、藤田さんは指を○めて幾つも並べ、「もしかしたら一般的な蕎麦屋でカウンターにしたのはうちが最初じゃない。ほしさん、どんどん書いて♪」という話になったのである。
 

〔江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる〕