第766話 古代風味の江戸城濠大根  

      2022/01/15  

☆浜大根の発見
 毎年春になると皇居のお濠の土手に、青紫色の大根の花がたくさん咲いていた。
   江戸ソバリエ協会は、お濠端にある「かがやきプラザ」を事務所代わりのように使わせてもらっているので、春になると私は、「あれは〝浜大根〟だろう」と思いながら窓越しに青紫色の花の群を眺めていた。
  その景色とは関係ないことであるが、江戸蕎麦研究家の大竹先生に、「江戸には千住葱、奥多摩山葵とあるけど、江戸の辛味大根ってないのですか」と尋ねたことがあった。2014. 15年ぐらいのことだったと思う。もっとも武蔵国産としては現在の川口市に赤山大根というのがあったらしいが、いつのころからか生産しなくなったようである。それはおそらく江戸では中期ごろから江戸蕎麦に山葵が使われるようになったから辛味大根を使わなくなったのが理由だと思う。
  それからしばらくした2016年だった。大竹先生から辛味大根を見つけたというお電話をいただいた。それがあの皇居の濠に咲いている〝浜大根〟だった。大竹先生によれば、この浜大根は辛いらしい。
  しかしながら、あれを採集するわけにはいかないという。なぜなら、かの地は皇居になるから「皇居内の植物を採集するなんて、とんでもない」というわけである。先生は何とかできないかと度々お濠端を歩き回ったところ、足元にもその花が咲いていることに気づいた。皇居の土手から種がこちら側に飛来して少しだけ咲いていたのである。幸いなことに、こちら側は一般の道路である。そこで先生は丁寧に種を採集して持ち帰った。それが2018年のことであった。
  この〝浜大根〟というのは名前の通り砂浜などで咲いている野生大根である。ただ名前に反して、根が極細。しかし、肥料をやって栽培すれば、大根として蘇る。さっそく、大竹先生は知人の農家さんに依頼して育成を始めた。

 というようなことを大竹先生は江戸ソバリエ講座の薬味の時間にお話された。また興味あるソバリエさんに種を配布されたので、育てた方もいらっしゃった。そのうちの一人、北京プロジェクトの高橋正さんも栽培を試み、大根になったとき、写真を送っていただいたこともあったが、それはまだ手の指ぐらいの小さな大根であったが、辛味はあったらしい。 2019年、大竹先生は【江戸城濠大根】と名付けられた。「堀」は一般的な池の意であるが、「濠」の字は城の池を指すから、誕生秘話をこめて【江戸城濠大根】とされたわけである。
  そして栽培から3年経過した昨年の暮に、大竹先生のお知り合いのJAの渡邉さんから、食材として「それらしくなったので、蕎麦屋さんに試してほしい」との話があったのが2022年1月。さっそくながら江戸ソバリエの店の大塚「小倉庵」と、北池袋「長寿庵」にお願いして持ち込んだ次第である。

☆江戸城濠大根の誕生
 「小倉庵」の安藤様と、長寿庵」の飯高様が試されたご感想は下記のとおりだった。

 Ⅰ.大塚小倉庵
〇まずはそのままで
・当店で使っている、群馬県産の辛味大根と食べ比べました。
群馬産より辛い、上品な辛さです。
〇下ろしたもの
・そのままより、辛味が増す。毛穴が開くような辛さ。
〇蕎麦と共に
・蕎麦の上にのせて食べても、汁に溶いて食べても美味しいと思います。
・《生粉打ち》(蕎麦粉100%の細打ち蕎麦)
《二八蕎麦》より甘さを感じる蕎麦なので、辛味が引き立ちました。
・《いなか蕎麦》(蕎麦粉100%の粗挽き太打ちそば)
噛んで食べる蕎麦なので、《生粉打ち》より、辛味がまろやかになった気がしました。
・《温かい蕎麦》
大根を薄い短冊状にして、汁で煮てから、蕎麦にかけました。
《いなか蕎麦》が合うと感じました。辛さはあまり感じませんが、温まる様な気がします。
〇出汁巻き玉子
普通の大根下ろしより、辛味大根の方が、玉子の甘さが引き立ちます。《卵焼き》に合うと思いました。
〇蕎麦掻き
《蕎麦掻き》には、辛味大根より、山葵の方が良い気がします。
〇細い線切りにして《きんぴら》にしてみました。
熱を加えると、辛さが飛び、苦みも出てきます。
〇一晩漬物にしました
後からピリッときて、お酒の摘まみにも良いと思います。

[総評] 
以前使っていた、「福井のねずみ大根」と今使っている「群馬の辛味大根」の間ぐらいの 辛さで、冷たいお蕎麦、特に甘味の感じる《生粉打ち》に合うと思います。当店では 通年、辛味大根を乗せた蕎麦を出します。冬の時期に、仕入れにくい時がありますので、その時期に手に入ると助かります。ただ、細身なので、本数が必要ですし、下ろし甲斐があります。

Ⅱ北池袋長寿庵様
①辛味大根 辛味が弱いか、やや辛いか、とても辛いか?
下ろし立てがとても辛いです。 固体さがあります。 大きい物が辛いです。 細い物はあまり辛くないです。 辛味は時間の経過とともに減ります。
②辛味大根はどのような蕎麦に合うか?
・《冷たい蕎麦》の薬味か、《温かい蕎麦》の薬味か?
葉も根も辛味は 熱に弱いです。 《温かい蕎麦》では持ち味を損ないます。
・いなか蕎麦の薬味か、江戸蕎麦の薬味か?
・その他の蕎麦?
風味の強い《いなか蕎麦》に合います。 粒度を細く下ろせば 細い蕎麦にもあいます。 どちらも汁より塩が好相性でした。
③その他の感想 ・蕎麦掻きや蕎麦湯や玉子焼きに合うか?
・その他に利用できるか?
・おろし方に何かコツがあるか?
・その他の感想?
水分が少ないですから ふっくらジューシーな大根下ろしにはなりません。
辛味の余韻も長いです。
焼き物のあしらいには不向きと思います。
《蕎麦掻き》は試していません。 が、 水分が少ないメリットがありますので 細かく下ろせば合うと思います。
葉の小口切りは生で柔らかくて非常に旨いです。
目立ての細かい生姜下ろし金より 大根おろし金の方が 辛味が 際立つ様におもいました。
香りの刺激は山葵 辛味の刺激は【江戸城濠大根】が勝ります。
香りはオリーブ油や、コーン油に弱いです。
下ろし金の目立てを何パターンか試す必要があると思います。
[追記]
他店に持ち込んで、《発芽蕎麦》とともに食したところ、よく合っていた。

.ほしの感想
【江戸城濠大根】の試食の大きな目的は、二つだろう。一、辛味の程度は? 二、どんな蕎麦に合うか?
 一の辛味については、お二方ともに合格の判断をされている。とくに小倉庵はこれまでの使用経験から福井産と群馬産の中間だとされ、長寿庵は大きい方が辛いとされている。
 二のどんな蕎麦に合うかについては、小倉庵は《生粉打ち》《いなか蕎麦》、長寿庵は《いなか蕎麦》《発芽蕎麦》と、お二方とも風味の強い蕎麦が合うとされている。  慣習・文化的にも、辛味大根が《いなか蕎麦》に使用されてきたことを思うとそのことがあらためて実証された感がする。
   他の蕎麦料理との相性については、辛味大根の特徴である(1)辛味が強い、(2)水分が少ない点をどう活かすか。また、下ろし金の目立の選択など、興味ある今後の課題の提示をいただいた。
   蕎麦薬味論から見れば、薬味の使用によって蕎麦にないビタミンCを補給することにある。そのことをふくめ、お二方の提示について、料理研究家などの協力を得てあらたな可能性を追究していきたいところである。

☆古代風味の江戸城濠大根
 それにしても大根とは不思議な食材である。
 聞くところによれば、世界の生産・消費量の九割が日本であるというから、日本はまさに「大根大国」である。
  にもかかわらず、原産地が地中海辺りらしいということと、それが中国に入って栽培化され、朝鮮半島を経て九州へ上陸し近畿に及んだだろうということぐらいしか分かっておらず、それがいつ日本に渡来し、いつから栽培が始まったかなど、詳しいことはまったく分かっていない

 主題である辛味大根についてもそうである。現在、辛味大根は日本列島各地で見られるが、ほとんど伝来由来は不明であり、わずかにふろ吹き用の京の辛味大根と、近江の物が蕎麦の薬味に使用されていたことの年代が史料に出てるていどである。
  また先述の野生の浜大根と栽培大根の関係も分かっていない。ただ最近のDNA解析から、野生の浜大根と栽培大根は別系統とらしいということが判明し、おそらくその両方が大陸から列島に伝搬し、これらが交雑して多様な品種が成立した可能性があることが言われ出したことは、面白いことだと思う。

 春になると、また皇居濠の土手には青紫色の花が咲き乱れるだろう。それが大根という生命体の数千年前の太古からの営みである。それを想うと、囓った野生大根に太古の風味が感じられた。

〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕
写真:高橋さんが育てた芽、渡邉さんが育てた大根