第777話 夫婦、友達、恋人、相棒、芸者

      2022/02/28  

~ 蕎麦文学紀行 番外編 ~

先に、蕎麦とつゆは夫婦関係(762話)、料理と酒は友達関係(776話)、と申し上げた。
夫婦関係というのはこれから一緒になって美味しさを作り上げていこうという同志のような関係。
お友達関係というのはお前がいてくれれば楽しくなるというような間柄。でもたまには悪友になることもある。

では、次のような美味しい関係は何だろう?
抹茶と和菓子
緑茶と羊羹、
ケーキと紅茶、
チーズケーキとコーヒー、
トーストとコーヒー、
牡蠣に白ワイン、
生ハムに赤ワイン、
武者小路実篤の『新しき村』宣言ではないけれど、各々は「独立しているけれど協力もする」という関係か、あるいは君がいるだけでわくわくする、恋人のような関係だろうか。ただし、地産地消的な堅固な縁になると、幼馴染みに似た間柄でもあると思う。

ではでは、蕎麦の薬味、寿司のガリ、天麩羅の大根下ろし、鰻の蒲焼きに山椒、牛丼に紅生姜、ライスカレーにラッキョウ、とんかつにキャベツの千切り・・・、なんかはどういう関係と言った方がふさわしいだろう。
この「とんかつ+キャベツ」という形は、《とんかつ》の前身《豚のカツレツ》を銀座の「煉瓦亭」が発売した当時(明治)から付いていたらしい。
そこで、知人にとんかつを食べ歩いている加藤美紅さんという方がいらっしゃるから、「なぜ、とんかつにキャベツ?」とお尋ねしてみた。何せ若く元気で美人さんの加藤さんは、一緒に《とんかつ》を食べに行くのに「とん活しませんか」とおっしゃているぐらいだから、どういう方かお分かりだろう。
それはとにかく、美紅さんからこんな答えを頂いた。
キャベツはとんかつの拠り所、マラソンで疲れたら水を飲みたくなるように、お皿の上での一呼吸としての役割を担っている相棒みたいな存在。
キャベツの切り方、盛り付け方、食べやすい長さ、とんかつと食べ進めやすい量で、お店のとんかつへの思いが分かる。

そうか、相棒か。とんかつに付いているキャベツは見た目にも存在感があるからいかにも相棒らしい。とんかつ愛にあふれた見事なお答えである。とすると蕎麦の薬味も相棒だろうか。
漱石は「蕎麦はつゆと山葵で食うもんだ」と言っているが、この台詞には相棒感はあるが、ちょっと違うような気もする。
寿司のガリ、天麩羅の大根下ろしは、キャベツほどの存在感(相棒感)はないにしても似たところがある。頼めば気前よく追加してくれるからだ。
牛丼に紅生姜、ライスカレーにラッキョウはどうだろうか。
乾燥唐辛子なんかは、最初は未知のものだったが、東アジアの豆醤文化と相性がよかったためか、世界中では東アジアが一番使用しているだろう。
ではあるが、蕎麦の薬味だけはこれらと違う。
大久保恒次は『田舎亭』という小説のなかで「日本の料理のはかなさは日本人にしか分からない」と文学的な表現で書いているが、蕎麦の薬味にも〝はかなさ〟を感じる。拙著『新・みんなの蕎麦文化入門』では、日本の薬味とは(1)日本産の物を、(2)生のままで、(3)食べる直前に下ろしたり刻んだりして、(4)少量を良しとして使用する、微・美・味の世界とした。絵にすれば、昔のお座敷で見た、一舞しただけで丁寧に三つ指ついて挨拶をして去った新米芸者さんの後姿のようなものであろうか。

〔エッセイスト ほし☆ひかる〕