第778話 江戸前《種込み天麩羅蕎麦》

     

 ☆《天麩羅》と《天麩羅蕎麦》
 《天麩羅》や《天麩羅蕎麦》はいつごろ、誰が始めたのか?
 日本の料理史での《揚げ物》の初出というのは『松屋茶会記』(1559年)の《揚麩》らしい。
  その素揚げがうどん粉をまぶした衣揚げになり、それを誰かが屋台店で、今の箱崎あたりで庶民向けに商うようになったのが、江戸前の《天麩羅》屋の始まりだ。時期は江戸中期ごろらしい。

  その《天麩羅》を誰かが《かけ蕎麦》にのせて夜店などで売り出した。これが《天麩羅蕎麦》の初めである。
  箱崎町あたりの屋台が始めた《天麩羅》が流行ったのは、衣揚げにすれば油が汚れないから長持ちして商売として経済的だったからであり、《天麩羅蕎麦》の汁に油味を加えたら、より旨くなって一般客に受け、商いが繁盛したわけである。

☆《種込み天麩羅蕎麦》
 《天麩羅蕎麦》は蕎麦屋の定番である。どこの蕎麦屋にもあるが、そのなかで光っているのが「室町砂場」の《種込天麩羅蕎麦》であろう。
 「室町砂場」の《種込み天麩羅蕎麦》には〔巻海老のつまみ揚げ〕と〔芝海老の掻き揚げ〕の種が込みで入っている、というわけで《種込み天麩羅蕎麦》といわれる。
  〔つまみ揚げ〕というのは、巻海老(小形の車海老)を二本ぐら筏のように並べて四角に揚げる江戸独特のやり方である。
  巻海老は中形の車海老、「車海老がなくなれば、天麩羅も日本から消える」というぐらい現在の天麩羅には車海老は欠かせない。桜香のようなあま味は日本人は大好きである。ただ、高価でもある。それゆえに巻海老を使って、それを大きく見せるために工夫されたともいう。
   江戸料理は粋が信条、筏のように並べて四角に揚げるという凝ったやり方が江戸らしいというわけだ

〔江戸ソバリエ ほし☆ひかる〕