第236話 養蚕民家で考える

     

養蚕民家 ☆ ほし絵

~ 第4回 古民家蕎麦屋を愛する会において ~

練馬の光が丘に、蕎麦屋と美術館が同敷地内に並んであるという話は蕎麦好きの間ではかなり知られているようだ。

駅を降りて、少し歩くと、それは ―「光が丘美術館」そば処「桔梗家」陶芸教室「飯綱山陶房」― よく手入れされた庭木の立つ、広い敷地(1,200~1,300坪)の中にあった。

そのうちの「桔梗家」は、オーナーが平成6年に小川町秩父寄りの、ある養蚕農家を移築した、築150年の古民家であるという。

直家、二階建ての、屋根を見ると、櫓(出窓)が象徴的に三ツ並んでいる。蚕の飼育には1)清涼育と2)温暖育と、3)双方の長所を取り入れた清温育があり、1)と3)の飼育法には櫓が必要であるという。その櫓も、一ツ櫓、二ツ櫓、三ツ櫓、半櫓、総櫓などの形態があるが、その景観は養蚕農家の特色でもあるだろう。

古い時代は、身分によって、職によって、家屋の形態 ― 武家屋敷、商家、農家、漁家など ― が異なっていた。そしてその住まいの基本は職住一致であった。

それが、身分制もなく、職住分離となった現代では、家屋はみな同じにになった。ただし、それなりの能力をもつ者はそれなりの豪華なマンションを購買することができるようになったことはいうまでもない。だから、現代の住まいは資金力によって形態や規模が違ってくるということになる。

これを分かりやすく数式調で示すと、次のようになる。

身分制度 × 職住一致 機能別家屋
平等 × 職住分離 格差家屋

こんな式にしてみると、どちらの時代がいいのか、迷ってくる。

ところで、たまに下手な絵を描いていると、気付くことがある。それは日本の家屋は屋根が大きいことである。特に寺社などは屋根さえ、大きく、きちんと描けば様になる。対して、西洋の建物を描くときは、分厚い壁を意識する。

そんな相異をふくめたうえで「風土や住居は食事の大きな器だ」という眼で見ると、昔は町中にある武家屋敷では武家料理、寺社では寺社の料理、商家では商人の料理、田畑の農家では農民の料理、漁村の家では漁師の料理、山村の家では山の料理があったのだろう。しかし、現代ではそうした食文化はもう見られない。

蕎麦はといえば、もともとは身分の高い人たちが口にする後段の食べ物であったが、江戸の独身男性たちは蕎麦単品を商う蕎麦屋でそれを啜ることを好むようになった。

当時はほとんどがこういう部屋で、銘々膳か、折敷で食べていただろう。

そういえば、江戸ソバリエ認定の店「和み」では、《シルク蕎麦》なんてメニューがあったが、それこそここのような養蚕民家で食べたら面白かろうと思った。

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる