第242話 寿司屋の板前にて

     

【挿絵☆ほし】

明日の和食のために

時々寿司を摘まみに行く。今日は細川さんに銀座の寿司屋「小笹寿司」へ連れて行ってもらった。彼は両国「江戸蕎麦 ほそ川」の店主、旨い物好きで、食べ歩きが勉強になると言っている。
「小笹寿司」も、オバマ大統領と安倍総理の「次郎」じゃないけど、それに匹敵するほど知られた寿司屋だ。
このお店は、細川さんのお馴染みらしいから、彼のペースに任せた。
さてと、板前に座ったら、以前に寿司通の人からこんなことを教わったことを思い出した。

まずは、握りの手前の方を指二本で摘まんで、左に傾け、醤油にタネの一方を少し付け、なるべくシャリには醤油を付けない。醤油を付けた寿司は、タネとシャリとを横にするようにして、タネとシャリが同時に舌に直接触れるようにして押すように入れる。
寿司の醍醐味は、タネの旨さとシャリの旨さを舌ですぐさま味わうところにある。だから、握ってもらったらすぐ食べること。しかし旨さの余韻を味わうために、全体的には急いで食べることはない
これを聞いて私は驚いた。寿司蕎麦に替えても、まったく同じじゃないか。「これが江戸流の食べ方ということか!」と思った。
彼は「醤油どっぷりの寿司ほど不気味なものはない」とも言ったが、この「不気味」という表現が非常に印象的だった。それから、私は蕎麦の話をするときも、「つゆの付けすぎは不気味だ」と言ようになった。
「酒はほどほどに、飲み過ぎては寿司の味が分からなくなる」と、彼は最後に玉子焼だけを食べながら、そう言った。
それもそうだ。それにしても、寿司屋にも蕎麦屋にも玉子焼があるのはなぜだろう? これも江戸流なんだろうか。余談だが、私の尊敬する料理家の林先生(江戸ソバリエ・ルシック講師)は蕎麦屋に行くと必ず玉子焼を注文される。こういう楽しみ方もあるだろう。

見るともなく見ていると、お隣の細川さんの食べ方はきれいだ。食べ物にて対して誠意が感じられる。やはり彼は食の職人であり、食通だと感心した。

座った席からは、ご主人の庖丁捌きがよく見ることができ、見ていて気持がよかった。
世界の料理は焼く・揚げる(炒める)・煮るの三つが基本だが、「日本の料理は切ることが基本だ」とは、私が力説するところである。それも日本刀の伝統から庖丁を玉鋼で製作することによるだろうと思う。
そうした切れる庖丁だからこそ、「蕎麦を角が立つように切る」。そして「刺身は角が立つように切る」と日本橋の、ある庖丁人さんに言われたとき、私は「角が立つように切ること」は日本式の料理法なのだと理解した。

ところで、江戸の食べ物といえば、蕎麦、寿司、天麩羅、鰻、おでんなどが右代表だが、その共通するところは(1)醤油料理、(2)単品料理であることだ。(1)は醤油が貴重で、かつ一般的になってからの料理だから、醤油が中心の料理となったのだろう。(2)は最初は間食として食べられたから、単品料理となったのだろう。
そのうちの、お蕎麦は寺方料理がルーツだ。鰻の位置付けは知らないが、握寿司と天麩羅とおでんは庶民相手の屋台が最初だったから、今でもその名残の板前(カウンター)方式が多い。
この板前方式というのは西洋と逆だ。西洋式ではウェイターがレストランの主役になるが、板前式では料理人が主役となって客と応対する。

実は、この板前式が登場したのはそんなに古いことではない。京都の料理人森川栄が昭和2年に始めた板前割烹「ぎおん浜作」あたりが最初であろう。江戸料理研究家の福田浩先生によれば「京都の料理屋が生き残ったのはこの板前割烹のお蔭だろう」と言う。江戸は相変わらず御座敷だけに頼っていて、時代に取り残されたというのだ。
「人は出世作に向かって前進する」という言葉がある通り、板前割烹を拓いて新世界を創出したこともそれに当たるだろう。
ただ、前進のためなら何でもアリというわけではない。昔の日本人は、大喰い、立喰い、買食い、店屋物などは下品なことと位置付けをしながらも、それを認めていたという秩序観をもっていたことを忘れてはいけない。
さらに、寿司界では醤油のことを「むららさき」という。これはナント御所言葉だそうだ。加えて、蕎麦界でも汁を「つゆ」と呼ぶけど、これも御所言葉だ。ここに日本人の食べ物に対する敬う気持が表現されているような気がする。

最後に、細川さんが話題の「『俺の・・・』の店の前を通ろう」と言った。「入ろうというわけではないが、見るだけ」だと言う。やはり人一倍、食に対する熱心さをおもちだ。

〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる